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エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(7)ライサチェック、ソチの出来事、好きなアイスダンサー(終)

10月に掲載されたプルシェンコのオンラインQ&Aの続きです。長々と紹介してきましたが、これで最後です。お待たせしてすみません。

過去の記事はこちら↓

エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(1)ブラウン、ペトロフ、羽生結弦について
エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(2):スケートの昔と今、ヴォロノフ・メンショフについて
エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(3):印象深いメダル、コーチ業について
エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(4):好きなプログラム、ペテルブルクの状況、キノコ狩り

エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(5)注目されること、ヤグディン・ジュベールについて
エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(6)子どものゲーム、息子にスケートをやらせないのか
エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(7)ライサチェック、ソチの出来事、好きなアイスダンサー(終)

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(ソチ・オリンピックでは、アメリカやカナダのスケーターもあなたについてとてもあたたかな賛辞をして、応援してくれましたね。ミシェル・クワン、カート・ブラウニングや、エヴァン・ライサチェクでさえ。どうしてだと思われましたか?(後略))

そういった、僕の見方では偉大なスケーターたちとはもう長いこと、20年ほど仲良くしている。彼らからそんな賞賛の言葉を聞けるのは嬉しかった。特にエヴァン・ライサチェクから聞けたのは嬉しかった。2010年のバンクーバー・オリンピックのあとは緊張した関係にあったからね。4回転を大会で跳ばないスケーターはオリンピック金メダリストになりえないという意見のままだけど。スポーツは前へと進んでいて、誰よりも早く、誰よりも遠く、高く跳んだら、ナンバー2という場所にいるはずがない。フィギュアスケートもやはりスポーツであって、バレエではない。でも彼らの応援は嬉しかった。(後略)


(ソチ・オリンピックではすべて正しいことをしたと思いますか?もし可能なら、何を変えたらいいと思いますか?)
僕はすべて100万%正しいことをしたよ。何を変えるかだって?椎間板の折れたボルトを変えてずっと滑りたかったよ、もしそんな可能性があったなら。でも残念ながら、その状況は繰り返せないし変えられない。でも、国別対抗戦で自分のプログラムを滑って、とてもつらかったけど、全スケーターの中で最初に滑って競技を開会したこと、金メダルを取れたことを本当に誇りに思うし嬉しい。ロシアのファンたちがどれだけ大声を上げて、拍手をしてくれたのか覚えてる。感謝して低く頭を下げたい。もうただファンタジーみたいで、キャリアを通じてこんなの見たことなかったし、こんなにアドレナリンが出たのを感じたことはなかった。ファンたちと、ロシア全部と一緒に勝利したんだ。

個人戦については、6分間練習で怪我が出てしまったけど、怪我からはだれも守られていない。もちろん、そんなことは起こってほしくなかったし、責任ある大会の直前にそんなことが誰にも起こらないよう願う。でも何もできなかったんだ。腰で部品がポキっと折れて、それ以上滑るのが不可能だった。続けるべきだったって誰かは騒いでるけど、いったいどうやって?あるいは、若いスケーターに譲るべきだったとか。でも、スポーツにおいて、ライバルに譲る必要があるというのは受け入れられているのか?いったいどうやって譲れと?自分が一番で、それを自分の滑りで証明したのに。

今、2014年オリンピックについて、オリンピックへの準備について、手術について、すべてがどんな風だったかについて、本を書いている。いつ本が出るかはまだわからないけど、近い将来だと思う。そこで多くのニュアンスや秘密が明かされる。すべてがどうやって起こったのか、どのように、そしてなぜ僕が個人戦を棄権せざるを得なかったか。その時スケート連盟側と話して、連盟がマクシム・コフトゥンに電話をした。でも、残念ながら、電話はつながらなかった。補欠の筆頭だったにもかかわらず。でもコフトゥンには誰も電話を繋げられなかった。そのことは彼のコーチも、彼自身も知っているのに、なぜか彼らは全く別の経緯を話している。あたかも電話なんてなかったというような。おそらく、何よりもまず彼に、なぜ電話を撮らなかったのか、そして1週間もどこに消えていたのか聞く必要があろう。


(好きなアイスダンス選手は誰ですか?)


アニシナ/ペーゼラ組、クルィロワ/オフシャンニコフ組、ウソワ/ジューリン組が好きだった。今のアイスダンス選手だったら、言うまでもなくカナダとアメリカの2組だね。ソチ・オリンピックで3位になったロシアのペア、イリィヌィフ/カツァラポフ組も好きだったよ。

(終)

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

エヴゲニー・プルシェンコ:もう急がないように!(後編)

先日掲載したプルシェンコの記事について、後編をお届けします。ちょっと遅れてしまいましたが。

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もう急がないように!


エヴゲニー・プルシェンコ
http://www.ruspioner.ru/cool/m/single/4162

(続き)

手術でわかったのは、おかげさまで新たに加える必要はなく、ただ壊れたものを取り除く必要があるということだった。ボルトを抜くために穴をうがつと、骨の一部がそれでも剥がれたけど、医師はそれを元に戻して、あとは癒着するのを待つだけだ。手術がうまく行って、腰にはもうボルトがなく、ポリマー椎間板が筋肉と関節をすっかり覆っていたことに喜んでいる。あとはただ待って、正しいリハビリをするだけだ。いま大事なのは、3ヶ月間待ち通して練習も何もしないこと。

いったいどうやって1回めの手術のあとに練習ができたのか、チタンボルトが僕の体重をどうして支えられなかったのかという疑問が、多くの人の舌の上をぐるぐる回っているかもしれない。僕の外科医は、素晴らしい心理学者でもあるようだ。最初はこんな感じだった。脊椎の構造を強化するためにちっちゃいボルトを入れると彼は言った。そのとおりに言ったんだ。僕はなにかミクロ的なものだと思ってたんだけど、後になってボルトを見せてもらったら、4.5センチもあったんだ。彼には感謝したよ。ボルトがこんなに大きいなんてことや、強い負荷がかかると壊れるかもしれないなんてことを教えてくれなくてありがとうって。

もしそんな危険性があるということを知っていて、ボルトがこんな醜悪なものだと見てしまっていたら、オリンピック前の手術に同意しなかったかもしれない。リスクをとらずにその時に引退を決めた可能性も否定できない。

ボルトは、言っているとおりチタン製なんだけど、僕は練習で50回ジャンプをするとそのうち20回は4回転だ。ジャンプの数は手術後かなり増えたんだ。実際はゼロから始めたようなものだったから。技術も失ってしまって、筋肉も弱くなり、ジャンプだけでなくジムでバーベルを挙げたりもしなくてはならなかった。手術後、また新たに4回転の跳び方を習得していったんだけど、ひどい転倒や問題のある着氷もあった。4回転ジャンプというのは、脊椎への負荷レベルで言うと、2階から着地するようなものだ。だからチタンでさえ…。

1回めの手術のあと3・4ヶ月してからスケートで滑り始め、体力トレーニングにも真剣に取り掛かった。頭にあったのはオリンピックへの準備だけだったから、空白を待ちきれなかった。去年、オリンピックに向けた準備をしながら待つということができなかったんだ。もし待ってしまったなら、エレメンツの1つも取り戻せず、プログラムを滑りきることもなく、4回転もできなかっただろう。だから、ロシアのため、オリンピックの金メダルのために自分の体を犠牲にせざるを得なかった。でも、後悔はまったくない。だから、素直に認める。それでも僕は自分を誇らしく思う。自負と、どこか喜びも感じている。人生とスケーターとしてのこんなに困難なステージを通過できたということに。僕はこの歴史に勝者として名を刻んだ。

治療して、また新たに意志と体をふりしぼらなくてはいけない。僕には大きな計画がある。やっぱりロシア中でショーツアーに出かけたい。9月か10月に延期になってしまったけれども。ファンのみんな、応援してくれた人たちと会って、オリンピック・プログラムを滑りたいんだ。

医師が最後に僕に言ったのは、急ぐ必要はないということだ。
「次のオリンピックまでまだ4年あるから、もう急がないように!」

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エヴゲニー・プルシェンコ:もう急がないように!(前篇)

ルースキー・ピオネールという雑誌に、プルシェンコの記事が掲載されたようです。今回のオリンピック棄権の経緯について、事細かに書かれています。

オリンピックの団体戦で好成績を残し金メダルを取ったあとの個人戦、舞台はロシア・ソチというこれ以上ない場面で棄権をしたことは、その決断自体がものすごい痛みを伴うものなのですが、なかなか理解できない方々もロシアにいるようで…。

ちょっと長かったので、訳しきれず前後編にしてしまいました。変なところで止めてしまいましたがご容赦くださいm(_ _)m

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もう急がないように!


エヴゲニー・プルシェンコ
http://www.ruspioner.ru/cool/m/single/4162

人には可能性がある。人の可能性を超える何かもある。同時に、どんなときでもできない何かもある。僕はできることはすべてやり遂げた。でも、神様が僕を止めたということは、止まらなくてはいけなかったということだ。

有名な人もそうでない人も、多くの人がこんな風に話し始めた。「最後まで行くべきだった!」 僕はただ彼らに訊いてみたい。「あなたならできたのだろうか?メダルのために自分の身体を差し出せるか?こんなに痛いのに滑ることができたのか?」 僕が痛みを恐れたと思ってるのか?僕は最後まで歩いてきたし、やれることはやってきた。例えば、半月板の痛み。僕は4回の手術をしたけれど、その痛みにどうやって戦うかは知っている。それから、鼠径ヘルニアも除去したけど、痛みを感じながら滑っていた。でも、ウォームアップで2回転ジャンプを跳んだあとという、世界中でもこれ以上に止まりたくないときはないというその瞬間に、脊椎に何かが起こって、右足の感覚がなくなってしまった。そうなると、もう精神力でも我慢でも、どうにかしてくれるようなものは何もない。「アイスバーグ」アリーナで、何千人もの観客と何百万人ものテレビを見ている人達の前で、足が効かなくなったんだ。そして、体がまるでもう自分のものでなくなったかのようで、2回転どころか1回転だって跳べるはずがないとわかった、というよりも感じた。みんなが理解してくれることを願っている。耐えることのできない痛みもあるということを。

そのときでさえこれがどんなに危なかったかを完全には意識していなかった、ということがわかった。その日のことを何度も思い出して、頭の中をぐるぐる回してしまう今になって。僕の脊椎にはチタン製のボルトとポリマー製の椎間板が入っていたことはだれにとっても秘密ではないだろう。今、後になってわかったことだけれども、腰に炎症が残っていて、その構造は完全には定着せず、筋肉で固定されていなかったようだ。それでも僕は練習をしなくていはいけなかった…。もちろん、そのときの僕に1年間あれば、その構造は耐えられたんじゃないかと思う。でもジャンプごとに、衝撃があるごとに、医師が僕の腰に埋め込んだものがぐらついていたんだ。その結果、ボルトのうち1本が少しだけ横にずれて、個人戦のショート・プログラム前のウォームアップでジャンプの着氷に失敗したまさにその最後の瞬間に、ボルトが完全に折れたんだ。そのときは、何か深刻なことが起こったとは思ったけど、まさかチタン製の構造が壊れるものだとは想像もできなかった。ボルトの一部はそのまま腰に突き刺さっていた。椎間板に何か起こったとは思っていたけど、ここまでとは…。

演技を続けていたら最悪の事態になったかもしれないと医師は話した。着氷の失敗や、着氷に成功したとしても、いかなる負荷でもボルトが腰の神経を傷つける可能性があった。そんなことになったとしたら、僕はもう競技のことも、メダルのことも、フィギュアスケートなんかのことは考えられなくなっただろう。その代わりに、車いすの車輪を回すことを覚えただろう。

イスラエルに着くまではゾンビのように歩いていたけど、それまでは何が起こったのか正確にはまだ知らなかった。1回めの手術をした外科医とすぐ電話で話した。彼が診察の日程を決めて、僕らは待った。裁きか、希望かを。ひどい痛みは始まっていて、そのとき許可されていた抗炎症剤を使って戦っていたのだけれども、全然効かなかった。今使っている薬は使えなかったんだ。まだスケーターであって、いかなる時であってもドーピング・テストをさせられるかもしれなかった。そうなれば、確実に陽性になってしまうからだ。

そしてようやく診察が始まった。レントゲン、血液分析…。懸念が確認された。ボルトの1本が外れて骨の隙間に刺さっているという疑いだ。2日間にわたって僕は診察を受け、光を当てられ、調べられた。そして、手術をするという決定が下された。こんな短期間の間に2度めの脊椎手術だ。でもどうしようもない、折れたボルトを腰にかかえて生き、練習するのは、控えめに言っても不可能だ。医師は僕にこう言った。切って、骨や筋肉が癒着したかどうかを確認する。もしそうなら、そのチタンの構造は分解して腰から取り出す。でももしまだ隙間があるようなら、それをさらに2本のボルトで強化する、と。

(続く)

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

アリョーナ・レオノワ:浅田の演技のあと、彼女と一緒に泣いちゃった

久々、本当に久々のインタビュー抄訳は、いつも面白いことを行ってくれるアリョーナ・レオノワ。ナショナルは良かった、ロシアにあと1枠あれば・・・と思わされた演技でした。

このインタビューでは、羽生や浅田に対する感想もあったけど、一番嬉しいのは次のオリンピックを目指してくれているという決意が聞けたことですね。浅田に感動したというのも、同じように思ってたのでちょっと嬉しい。

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アリョーナ・レオノワ:夏中アメリカに行きたくはない


アンドレイ・シモネンコ
http://rsport.ru/interview/20140311/734301467.html


(アリョーナ、「オリンピックの英雄がミーシンのお客様」ショーがあなたにとって事実上ユーロ後最初の演技ということになります。最近の調子や、何をしているのか、教えてください)
ここのところずっと練習をしていて、コンディションを保ってる。何があるかわからないでしょ?ソチ・オリンピックには5日間だけ行ってきた。今はより自由なやり方で練習していて、これと言って目指しているものはない。今シーズンはもうこれ以上大会に行くつもりはないし。

(オリンピックはどう感じました?)
一言で言い表せないくらい。みんな、こんなにできるなんてと驚いた。正直、最後まで信じてなかったから。私が出たバンクーバーと比べたら、天と地ほどの差がある。ソチは全てが凄くて、最高レベルだった。このオリンピックを巡ってあんなに盛り上がったのも無駄じゃなかった。

(どの競技を見られましたか?)
フィギュアスケート。男子のショートとフリー、それからショートダンス。あとクロスカントリーも。

(アイスバーグ・アリーナはどうでした?観客は、普段フィギュアスケート会場にいるような人たちとは違って、もっとホッケーみたいな応援だったと多くの人が言っていますが。)
そうは思わないな。それよれも、ソチのフィギュアスケートはモスクワでのワールドを思い出した。スタンドはロシア人ばかりで、ロシアに荒々しい、クレイジーな応援があったから。みんな叫んでて音楽も聴こえないっていう。私には、ホッケーというよりもそんな感じがした。それから、ソチでフィギュアスケートが満員じゃなかったというのには正直がっかり。多分、チケットの値段のせいだと思う。誰が2万ルーブルもするチケットを買えるっていうの?たぶん、フィギュアスケート狂いの日本人だけだよね(笑)。

(リンクの上のことを言えば、どの演技が気に入ったり、驚かされたりしましたか?)
見た中では、特にこれというのはなかった。男子はチャンピオンにはがっかりした。だって、金メダリストならクリーンに滑らなくちゃいけないと思うんだけど、羽生結弦はフリーで2回も転んだし。たぶん、男子だったらデニス・テンね。本当に力強い滑りだった。ジャンプの種類はチャンピオン級じゃなかったかもしれないけど、でもクリーンだった。もちろん、3位というのは立派だけど、私だったらもうちょっと上にするな。頑張って戦って、ショートでは何位かもわからないくらいのところからこんなに上に跳ね上がったんだから。

(転倒したらオリンピック金メダリストにはなれないと多くの人が言っています。それなら、なぜこんな結果になったのか。ジャッジ個人の問題なのか、ジャッジ・システムの問題なのでしょうか。)
羽生結弦はそのスケーティングでジャッジの心に触れて、ジャッジが1位に推したいと思うくらいに気に入ったからじゃないかな。特に、パトリック・チャンがミスをしたことを考えると。でも、チャンが金メダルを獲ったとしても、同じ感覚でしょうね、クリーンな滑りじゃなかったから。ジャッジ・システムには問題があるとは思わない。点数的には、出るべき点が出ていた。

(女子の演技はどうですか?)
信じられないくらい面白く見てた。カロリーナ・コストナーには本当に嬉しい。あと、フリーの浅田真央は特筆すべきだと思う。彼女の演技のあと、彼女と一緒に文字通り泣いちゃった。信じられないような感情だった。たぶん、彼女で感情が全部出つくしちゃって、その後の人は多かれ少なかれ落ち着いて見られた。もちろん、ロシアの女子にドキドキしてた。アデリナ・ソトニコワが滑ったあと、私はもうキムユナが彼女の上を行くことはないだろうとわかった。ユナは、がっかりしたというわけじゃないけど、4年前と全く同じだった。彼女に進歩が全然見られなかった。おそらく、彼女はバンクーバーと同じ滑りをすればまた優勝できると思ったんじゃないかな。今回はうまく行かなかったけど、でも全て完全にそうあるべきところにおさまったと思ってる。

(この質問をしないわけにはいきません。あなたは、オリンピックの女子シングルをいち観客として見ましたか?それとも、少しでも「アイスバーグ」リンクで演技をすることを夢見た人間としてですか?)
もちろん、女子を観るのは難しかった。正直に、難しかったと言う。この感覚がなんなのかよくわからない。悔しいっていうのでもないんだけど、でも悪いのは私自身だから。いずれにせよ、オリンピックは私にとってお祭りになった。オリンピックに行って、演技を見て、満足したことを嬉しく思う。たぶん、私のオリンピックは次だって、もう頭に叩き込んだからじゃないかな。あと、ソチに出るためにできることは全てやったと思うから。

(つまり、オリンピック代表選考での自分への文句は特にないと?)
もちろんユーロのフリーはクリーンに滑りたかった。ループとサルコウは悔しい。でも、全体としては、繰り返しになるけど、できることは全てやったし、ジャンプができていたとしても3位にも上がれなかったから、どうやったとしても。もっと難しいコンビネーションを持つ選手が上の順位になった。

(もし良ければ、「私のオリンピックは次だ」というところをちょっと詳しく教えてもらえますか?今、どんな計画やアイディアがありますか?何を練習するとか。)
今は、ワールドが終わるのを待ってる。それから、今後何をするか決める。以前のように、夏中アメリカでの合宿に行きたくはない。結構辛かったから。コーチ(ニコライ・モロゾフ)がどんな決断をするかまだ知らないけど、自分では1つのこと以外は決めていない。アメリカに住むのは絶対にできないってこと以外。

(モロゾフが、自分を取るのかアメリカをとるのかと訊いたら、どう答えますか?)
今そのことを考えている。もし彼がワールド後に「アリョーナ、それじゃあ私はアメリカに行くけど、お前はどうする?」と言うとしたら、まだどう答えるかわからない。

(スケーティングの練習については、技術的なところで何か計画はありますか?)
もちろん、全体的に難易度を上げないと。私のトリプル・トリプルのコンボは3T+3Tだけど、次のシーズンはそれよりももっと難しいのにしたい。もういろいろなのを試してる。一番珍しくて、私っぽくないのは、ループ・ハーフループ・ループ。なんとできちゃったんだよね。というわけで、今はちょっとだけ休もうと思っていて、その後は積極的にジャンプに取り組むつもり。

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(映像あり)金メダリストにベンツをプレゼント!プルシェンコ、リプニツカヤ、ソトニコワのコメント

ロシアでは、ソチ・オリンピックの金メダリストにメルセデス・ベンツをプレゼントしたようです。メドヴェジェフ首相からの表彰セレモニーが昨日ありました。映像リンクと、プルシェンコ、リプニツカヤ、ソトニコワのコメントを紹介します。

個人的には、ニキータ・カツァラポフの嬉しさを隠し切れないコメントが好きですね。

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リプニツカヤ「運転するのはママ。でも、こんなに大きな車は必要あるかな?いつも2人だし、スケート靴はあまり場所とらないし…」(練習には)「自分で来てた。早いし快適。でも最近は車でこなくちゃいけなくなったけど」
http://www.sovsport.md/n689492

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ソトニコワ「正月前に自動車学校に登録たけど、理論の授業1回しか行けなかった。その後は時間がなくて。でももちろんこれからはじっくりと勉強していく。あと2ヶ月で18歳だし。だからもうすぐ自分で運転できる」
http://www.sovsport.md/n689491

アデリンカ、ワールドのあとに頑張ろうね

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プルシェンコ:
7人乗りでちょうどだね!子供が多いし、乳母もいるから。トランクも大きくて、うちはスポーツ一家だからクラブやボールやスケート靴、ソリなんかも入る。素晴らしいプレゼントだ!

(運転はアグレッシブ?)
もう過ぎたことだ。18歳の頃から無鉄砲をやったけど、家族、子供ができるまでだ。たぶんおとなになって、落ち着いて責任ができたんだろう。ルールを厳しく守ってるよ。以前はいつもどこかへ急いでたけど、今は練習には早く出て早く着くようにしてる。

アクセルを思い切り踏まなくちゃいけない時もあるけど、できるだけ正確に安全に運転するよう心がけている。速くも運転できるけど、特別な道路が必要だね。
http://www.team-russia2014.ru/article/figur/15978.html

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↑の映像、ニキータファンは必見!!!

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メドヴェ「もうすぐ免許も取れるから。誰が運転するの?」
ユリヤ「ママです。ありがとうございます」
メドヴェ「カッコいいだろう」

うーん、おじいちゃんと孫の会話的。

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