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セルゲイ・ヴォロノフ:新プロはバトル振付で、SPはMUSE「Butterflies and Hurricanes」、フリーは映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

ロシア人新プロ情報まとめ、なんて記事を書いたとたんに、セルゲイ・ヴォロノフの新プロ情報が出ましたね。バトル振付で、セリョージャにとってかなり新しいものになってそうで楽しみです。




テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

ラファエル・アルトゥニヤンのインタ(後):プルシェンコ、バトル、ライサチェック、ワグナー、ネイサン・チェン、キム・ユナ、浅田

昨日の記事の続きです。

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ラファエル・アルトゥニヤン「プルシェンコは知っている、といことを私は知っている」

http://www.sport-express.ru/velena/reviews/38117/
エレナ・ヴァイツェホフスカヤ


コーチギルドの標準器


(なぜバトルはキャリアをそんなに早くに終えてしまったのでしょうか?)
彼が私のところに来て言ったんだ。「すみません、私はこれ以上自分に強制することはできない」と。残念ながら、世界選手権直後のことではなくて、もう強力な教え子をもらう可能性がなくなった9月のことだった。なので、少しの間全員を順番に教えていた。今はアシュリー・ワグナーを教えているが、彼女もニックスが私の所に送ってきた。

(アメリカのコーチはあなたのことが何らかの理由で好きなようですね)
そのことについては考えたことがある。もしかすると、誰のことも自分のところに誘い出そうとしなかったからではないか。私のところで滑ったスケーターで、事前に交渉したことなんて一度もなかった。アメリカではこのことに注意を向ける。非常にきっちりしてるんだ。ロシアのシステムでは、アメリカ人コーチは生き残ることは不可能だと思う。

(でも、もうレイク・アローヘッドでは練習していない)
ええ、そこで12年働いて、9月1日にミシェル・クワンのリンクに移った。私が去った後すぐにレイク・アローヘッドのセンターは閉鎖になった。オーナーが利益を出さないと考えたのだ。

ミシェル自身はホワイト・ハウスで働いていて、結婚し全てが順調だった。リンクを経営しているのは彼女の父親だ。私がレイク・アローヘッドを去ろうとしているのを知って、電話してきて「何が必要か言ってくれ。ここに来ればなんでも揃える」と言ってくれた。

(私との会話で以前、「ああ、私はフランク・キャロルじゃないから」と言っていたが、あなたの方が下だとお思いで?)
まず、私のほうがだいぶ若い。

(コーチにとってそれはマイナスではないでしょう)
ニックスやキャロルと違って、私にはコーチのギルドはなかったんだ、わかってほしい。彼らは特別な人たちだ。全ての意味で基準となる人たちだ。コーチがどのように振る舞うべきかという前例だ。そのニックスは、7月始めに私のところにワグナーを送ることを決めたのだが、彼の視点から、私がコーチとして知っておかなくてはいけないことについて、いくつかの問題について話したいと電話で言っきてた。彼が来ないよう説得したよ。ジョンは今年84歳になるし、レイク・アローヘッドへの道は若くて健康な人でも気圧の変化から頭がくらくらするようなところだからね。しかし彼はそれでもやってきた。念のため、娘を車に乗せてね。私達は一時間ずっと話し込んだ。ワグナーは、相談する必要があれば今でも彼の所に通っていると知っている。私はレイク・アローヘッドを去ろうとしているのを知ったニックスは、その瞬間に支援を提案してくれた。彼はリンクの共同オーナーなんだ。それが私には嬉しかった。ニックスはフィギュア界の伝説だからね。キャロルもだけど。


彼がは知っていると私は知っている


(今、アメリカ・チャンピオンとなってオリンピックにアメリカ代表No.1で出られる能力が完全にあるスケーターのコーチをしていますが、責任感がプレッシャーではないですか?)
そこは問題が違う。シーズンの基礎はだいたい4月にできる。アシュリーが私のところに来たのは夏だ。皆、彼女は良くなったと言っている。しかし、言うまでもなく私達の時間は非常に限られたものだ。コーチにとってアスリートを教えるという仕事が完全に発揮されるのは、1-2年では足りない。バトルも4年教えていた。アメリカのコメンテーターが書いた記事を読んでひどく悔しく思ったよ。世界選手権の後に、バトルが「雨粒を避けて1位を取った」と書かれたんだよ(註:運良く優勝したの意か)。ジェフリーはその時4回転を持ってなかったのに、彼に勝てるポテンシャルをもった他のスケーターに勝ったからね。

(そういった状況をどうお考えですか?エヴァン・ライサチェックがバンクーバー・オリンピックで優勝したこととか)
非常に単純だ。一定の点数システムを考えだしたからには、その点数を何で稼ぐかということは、重要な問題ではなくなるということだ。気に入らないのなら、例えば4回転には100万点の価値があるよな他のシステムを考え出せば良い。そうなれば、氷上で何をするかという問題は全く違ってくる。しかし、他にやり方はあるだろうか?例えば、今私のところには14歳のネイサン・チェンがいるが、アクセル以外の3回転だけでジュニアグランプリシリーズで2回優勝した。特に、2回の3Aと4回転を跳ぶ18歳の日本人の上を行ったのだ。ただ、私の教え子はほぼ全てのエレメンツでプラスをもらって、4回のジャンプをプログラムの最後に跳んでいるからだ。

私の考えでは、4回転ジャンプというのは、ケーキの上に乗ったさくらんぼのごとくスケーターに備わっているべきである。それがあるということは素晴らしい。さくらんぼが何個かあればもっといい。しかし、さくらんぼがなかったとしてもケーキはケーキのままだ。ただ、現在の男子シングルでは4回転1つというのは恥ずかしいと言わざるを得ない。プルシェンコはかつて4回転を4回、しかも複数の種類を跳んでいた。10年以上前には、4Tと4Sの他に練習では4Lzと4Loを試していたと確実に知っている。しかも時にはかなりうまく出来ていた。

プルシェンコとあたかも争っていたかのような他のスケーターにとっては、4回転は釣りに行くようなものだった。釣り竿を持って座って占うんだ。食いつくか食いつかないか?食いついたら、今度は釣り上げられるか釣り上げられないか?その時のプルシェンコにとっても、ルッツやループは同じような釣りみたいなもんだったろう。しかし4Tであれば、いわば昼でも夜でも好きなときに目をつぶってでも跳べただろう。まさにそのために、長きにわたって全く手が届かない存在だったのだ。今は違う。今は男子シングルは全く違う状況だ。プルシェンコ自身が、誰よりもよくそれを理解している。ソチで彼が何かを「捕まえる」ことができるか、もうそうでないかについて。私は議論したことはないが、彼が知っているということははっきりとわかっている。プルシェンコのようなスケーター、ライサチェックやミシェル・クワンといったスケーターには全てわかっている。


スタイルのアイコン


(女子のオリンピックについてはどう見ていますか?)
予想をするのは難しい。1位と2位以外は何が起こってもおかしくない。

(トップ2はキムユナと浅田真央ですか?)
ありうるね。

(浅田が慢性的にジャンプで回転不足になること、アクセルが両足着氷になることは不安になりませんか?)
それを見たプロトコルを見せてください。

(ジャッジがリンクを違った角度で見ているとおっしゃりたいのですか?)
回転不足については実際はしごく単純なことだ。スケーターがつらいときにはジャンプが回転不足をしはじめる。単にジャッジはそれを時々「見つける」が、時にはそうではない。

(ISUがスケーターとしての浅田に関心を持っているので、明らかに彼女にある種の青信号を出しているということですか?)
そう言っているのはあなたがただ。ジャッジにとって、浅田が単に非常に大きなフィギュアスケートのアイコンであるということは否定しない。キムと違って真央はオリンピック後もどこへも行かず、どんな状態でも観客を掴む力がある。最終的に3Aも跳んでいる。しかしそれは、一方では女子シングルにとって特別なエレメントであると同時に、世界の全てのコーチに対する非難でもある。3Aがこれまで他の誰も跳んでいないのは異常だ。近いうちに状況は変わると思う。しかもおそらくそれはロシアで起こるだろう。強力な女子が今あまりに多く揃いすぎている。難易度という面で前に突き破ろうとする者もいるだろう。私自身も、そんなジャンプを本当にしたいと思う女の子を見つけたい。

(じゃあ、ロシアに戻ってきてくださいよ、何か障害でも?)
もう遅い。快適さと良い気候に慣れすぎてしまった。


テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

ラファエル・アルトゥニヤンのインタ(前):浅田との別れ、サーシャ・コーエンとミシェル・クワン

ラファエル・アルトゥニヤンがロシアのプレスにインタビューをしていましたが、浅田について語っています。私はにわかファンなので経緯をよく知らなかったのですが、アルトゥニヤンと浅田の別れは謎めいていたようですね。このインタビューでその謎の一部が解けるかもしれません。

インタビューのタイトルは、「プルシェンコは知っている、ということを私は知っている」ですが、前半にはプルシェンコは出てこない(というか、全編通して浅田の話がメイン)ので、管理人が仮に表記のようなタイトルを付けています。

後編にプルシェンコやワグナー、キムユナと浅田が出てきます。こちらも鋭意抄訳中です。

では、前編の抄訳どぞー。

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ラファエル・アルトゥニヤン「プルシェンコは知っている、といことを私は知っている」
http://www.sport-express.ru/velena/reviews/38117/
エレナ・ヴァイツェホフスカヤ

アルトゥニヤンはロシアチャンピオンのアレクサンドル・アブト、アメリカチャンピオンのサーシャ・コーエンとミシェル・クワンのコーチをしていた。2008年には、2人の教え子である浅田真央とジェフリー・バトルが同時に世界選手権の金メダルに輝いた。ラファエル・アルトゥニヤンは自分について簡単にこう言う:「フィギュアスケーターの調子が本当に悪くなると、119番のように私に電話をかけてくる」


コーエン、キャロル、ニックス


彼女は本当に小さかった・・・(一瞬沈黙し、思い出したかのように微笑んだ)。でもまさに彼女が私を「プロデュース」して、レイク・アローヘッドでフランク・キャロルの代わりとしてリンクのオーナーに推薦してくれたんだ。でもその時はサーシャを教えるのは断ったんだが。もうアメリカのコーチだと自分では思っていたから、前任者の公的な同意なしにスケーターを引き受けられなかった。コーエンが大笑いして、「どうして?私が貴方をここに呼んだのに、私のことを断るわけ?」と言ったのを覚えている。しかし彼女自身が、ロサンゼルスで一緒にやっていたジョン・ニックスと話を付けた。ニックスはもうその時で70を超えていたが、私と会うために車に乗って自分でレイク・アローヘッドに来た。私の教え方が気に入った、サーシャが彼の所だけでなく私のところでも練習することに反対しないと言った。こうして彼女は私のところへも来るようになった。1年か1年半かして、彼女はニックスのところを出て私とだけ練習したいと宣言した。私は断った。

(アメリカの倫理感を犯すのが怖かったのですか?)
いや、それについては自分の感覚のほうが私にとってははるかに重要だ。私を信じてスケーターを預けてくれた人から、いったいどうして彼女を取り上げることができるだろうか?もしサーシャに「いいよ」と言ってしまっていたら、一生自分の中で拭えなかっただろう。

コーエンはいずれにせよ去っていった。タチヤナ・タラソワのところへ。それからロビン・ワグナーに移って、またニックスに戻って、それから滑るのをやめてしまった。しばらく経ってまた私のところに電話してきて、バンクーバー・オリンピックに向けてコーチをしてくれないかと依頼してきた。練習に来るようになったが、考えを変えたようだ。私が必要不可欠だと考えた練習の時間が単純にない、と彼女は言った。


クワン


(コーエンの後はミシェル・クワンが来ましたね)
そう。彼女は最初単に技術的なサポートを求めて来た。その時彼女はすべてのジャンプの調子が狂っていて、全体的な状況も改善が望まれるものだった。全部で2年一緒に練習したかな。オレグ・エプシュタインがデトロイトから電話してきて、「ラフィック、練習でミシェルに怒鳴ってるって本当かい?街中みんな噂してるぜ」と訊いてきたのを覚えている。

実際、そのときはクワンにはかなり厳しく対処していた。でも、彼女は素晴らしいプロフェッショナルと言わざるを得ない。練習でも、私に対する態度でもだ。彼女がリンク開始の15分前に来たことがある。滑る前にはもっとよくウォームアップをすべきだと注意したんだ。そうしたら、ミシェルは私を見てこう言った:「ねえ、私が家でお茶を飲んでたとでも思ってる?」

彼女の家にはホールがあって、ミシェルは練習前にはいつもしっかりと準備をしていたようなんだ。ウォームアップとストレッチ。ミシェルが私のところに来た時にはすでに大きな怪我をしていたから、プログラムを「裁断する」ためには過去のものから作らなければならなかった。でも、痛みのために何も出来ない練習もあった。そんなときは彼女は黙ってサークルを続けていた。


一生の教訓


(浅田真央のコーチをを続けられなかったことを残念に思ったことはありますか?)
今でも残念だ。最後に彼女といたのは2007年12月だった。まずトリノでグランプリ・ファイナルがあって、そこで浅田はFSでトップ、総合で2位となった。それから全日本選手権。その後アメリカへと戻った。真央は1月14日に私のところに来ると合意していた。ヨーテボリでの世界選手権までの練習スケジュールをすでに非常に詳細に決められていたが、決められた時までに真央は現れなかった。彼女から電話で、私が彼女のところにこれないかとお願いをされた。私はもちろんできなかった。ジェフリー・バトルとの練習があったからだ。しかしアシスタントを日本に送った。真央にはこれまで通りレイク・アローヘッドで待つと伝えた。

事実、真央の日本での練習状況は常に良くなかった。どのスターの周りにもある、注意を逸らせるような要素があまりにも多かったからだ。真央もそれを気に入ってなくて、自分に閉じこもり、その状態を氷へと移してしまった。いずれにせよ、私があまりに厳しい条件を突き付けてしまったということに尽きる。彼女が戻ってくるか、これ以上コーチをしないかのどちらかだった。

後になって知ったのだが、浅田の母親にちょうどガンが診断されたという。家族はこのことを秘密にしていて、私にも何も言わなかった。しかし、もちろん、こういう場合には私も自分で日本に行く機会を見つけるべきだった。少なくともこんなに厳しい条件を突きつけることはなかった。

このことから私は多くを学んだ。特に、コーチは原因を追求せずに決定を下していはいけないということだ。浅田が私の元を去ったのではなく、私が彼女に去ることを強制したことになる。彼女はそれを最後まで望んでいなかったのに。世界選手権で、フリーが始まるまでプロトコルには浅田の隣に私の名前があったくらいだ。真央は私がジェフリー・バトルとともにヨーテボリに来て、彼女が滑るときにフェンスのところに立ってくれると考えていたのだろう。しかし私はスウェーデンにも来なかった。

(なぜでしょう?)
まさにリンク・サイドに立つといことは、浅田との関係を再開するということだと理解してたからだ。簡単に言うと、原則に従ったということだ。バカみたいに。こんな例はフィギュアスケートの歴史上起こったことはなかったと思う。教え子2人が世界チャンピオンになったのに、コーチはリンクサイドにもいないという。

つづく


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アルトゥル・ガチンスキー:フィギュアスケートから気をそらす暇はない

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ガチンスキー:フィギュアスケートから気をそらす暇はない
https://russianfigureskatingforever.blogspot.com/2013/09/gachinsky-newpro-2013.html

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