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ドミトリー・アリエフ:今は羽生を追いかけなくてはいけない(4)「仮面の男」のヤグディンの動き1つ1つを真似していた

ドミトリー・アリエフのインタビュー第4回、最終回です。まともなリンクがない街でスケートをしていた彼の方法論(?)が明かされています。

ドミトリー・アリエフ:今は羽生を追いかけなくてはいけない(1)結弦が滑っているレベルにまで成長できる
ドミトリー・アリエフ:今は羽生を追いかけなくてはいけない(2)ダニエルとは出会って3時間で仲良くなった
ドミトリー・アリエフ:今は羽生を追いかけなくてはいけない(3)パトリックや結弦のようなトップ選手の「殺し合い」を僕たちは見ている
ドミトリー・アリエフ:今は羽生を追いかけなくてはいけない(4終)「仮面の男」のヤグディンの動き1つ1つを真似していた




テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

アジヤン・ピトケーエフ:リプニツカヤのファンと話そうと呼んだことがある(前)僕のような人とは自分だったら交流しない

少し前の記事ですが、アジヤン・ピトケーエフのインタビューが掲載されていたので前後編で紹介します。タイトルをどうつけようか迷いましたが、原題そのままにしました。後編で謎(?)が明かされます。

※追記(2015/11/27)
 後編をアップしました!
 アジヤン・ピトケーエフ:リプニツカヤのファンと話そうと呼んだことがある(後)ジュニアワールドのときは悔しくてコンピュータを壊した


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コフトゥン、ヤグディンを弱虫呼ばわりし、トランコフは羽生とフェルナンデスを例に挙げる

コフトゥンのインスタグラム投稿を巡るやりとりが、そこそこメジャーなインターネットニュースサイトLenta.ruでも記事になっていたので紹介します。コフトゥンヤグディントランコフが絡んでいます。議論はまだ続いているようですが、この記事から読めるような険悪な雰囲気ではなく、仲が良い(コフトゥンヤグディンは仲良し)中でじゃれあってる感じですね。

この「чучки」という言葉、知らべると非スラブ人の総称のような意味を持つようですが、ここでは「弱虫」と意訳しています。

※追記(2015/8/24 10:10)
本当に険悪な雰囲気だと誤解されるおそれがあるかと思い、インスタのやりとりの翻訳を追記しました。やりとりでは絵文字とかも使われていて、仲良くじゃれあってる感じですが、これがニュースサイトに取り上げられるとかなり雰囲気が変わって誤解させるような感じになるな、という印象です。




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ラファエル・アルトゥニアン:ソルトレイクでミーシン、タラソワと並んで立ったとき、これが私のキャリアすべてだと思った

浅田真央のコーチをしていたラファエル・アルトゥニアンのインタビューがSportStoriesに掲載されていましたので、主に浅田部分を抜粋して紹介します。アメリカでの指導についての話がされていますね。

* * *

ラファエル・アルトゥニアン:ガイシニクに言ったんだ、飲んでない、ミシェル・クワンの練習に行くところだ、ってね。


http://sportstories.rsport.ru/ss_person/20150105/795794183.html

(前略)
(ユリヤ・リプニツカヤの人気という現象は何で説明できるのか、どうお考えでしょうか。)
おそらく、原因のわからない多くの問題と同じような、コントロール不能なプロセスなんだろう。浅田真央がアメリカの私のところまで来たのもまさに同じ理由だ。日本ではただ歩いたりするところもなかった。彼女の人気があまりにクレイジーだったから、私が彼女を2-3年指導しただけで日本人は私の名前を知るようになったくらいだ。どうしてまさに浅田がそこまで祭り上げられたのかはわからない。そしておそらく、リプニツカヤも同じような経緯になってしまったんだろう。次の女の子がまた同じようになるのかどうかはわからないが、もっと祭りあげられてしまうかもしれないね。

(中略)

(ミシェル・クワンの指導には厳しい手法は使わなくて済んだと)
まったく。自分の仕事をというものを知っていた。私も彼女と仕事をするようになるまでに自分の仕事を知ることができた。ソ連にいたときの経験がとても役に立った。アメリカに移るまで25年も仕事をしていたからね。

人生は簡単には行かなかったよ、周辺の仕事から始めて、タラソワみたいな良い意味での「怪物」たちと戦わなくちゃならなかったり。繰り返すが、他意のない良い意味でだ。ターニャ(タラソワ)は私をとても助けてくれたし、今でも良い関係にある。

それでその後、14年前、アメリカに来ることになったが、それまでの経験すべてが力強く助けになった。私には、日本の浅田真央、カナダのジェフリー・バトル、アメリカのミシェル・クワンと、3人のナショナル・チャンピオンがいた。彼らが私のところに来たから、私は彼らと仕事をすることができた。ソ連やロシアの経験がなかったら、おそらくそんなことはできなかっただろう。

(中略)

ロシアでは1人のスケーターを1日3-4時間見ていた。アメリカではそんなことは不可能だ。誰もその時間分の給料を払ってくれないからね。浅田真央は、もし彼女が望めばそうできたかもしれないけど、そんなことはしなかった。彼女とは1日2時間の仕事だった。ミシェル・クワンとは1時間か40分、ジェフリー・バトルとは20分のときもあったし、40分のときもあった。

(中略)

(2002年ローザンヌでのユーロを思い出すと、もしフィギュアスケートに不公平さの具現があったとすれば、クリーンに滑ったアブトが2位になったことでしょう。ヤグディンが2度転倒したにもかかわらず9人中6人のジャッジが1位としました。)
多くの人がそのことに言及している。しかし私は哲学的にその件に対処している。アブトが怪我もせず、ローザンヌで見せたような滑りを何度かできていれば、ジャッジも彼に対して違う態度をとったのかもしれない。

フィギュアスケートには不公平なところは多いものだ。新システムでもそうだ。公平という主題をもって考えだされたものだけど、実際は同じものが残っている。ただ数字が違うだけだ。ほら、ここがマイナスで、ここがプラスで、だからその順位じゃなくてこの順位なんだと見せてくれる。でもジャッジがどんなふうに行われているか、何を話すべきかなんてことは我々も知っている。

良い表現がある。「スケーターは滑らなくてはいけない、コーチは指導しなくてはいけない、ジャッジはジャッジをしなければならない」とね。それがすべて、これが私の信条だ。

フランク・キャロルや佐藤信夫、ピーター・グリュッターといった、年配のコーチたちと話すのが好きだ。自分はまだ若いと思ってるけどね(笑)。彼らはみな賢い。佐藤は私にこう言った。「ラファエル、フィギュアスケートに起こっていることに注意を向けていたら、もうだいぶ前にスケートを辞めてただろうね」とね。それで私もそういったことには注意を払っていない。誰がどのようにジャッジをしているかなんて知らないけど、私はフィギュアスケートをやっている。たぶん、こういったアプローチをしているから、していることを続けられているんじゃないかな。

(中略)

(浅田真央についてはこうおっしゃられていましたね。「彼女がスケートをしないのは、たぶん寝てる時だけだ」と。)
そのとおりだよ。彼女は自分で1日に8時間も練習していた。「なんでそんなにたくさん練習するんだ?」とか訊いたことがある。浅田は、「ただ滑るのが好きなだけ」と答えた。I love itってね(笑)。彼女はレイクアローヘッドに来て、巨大な家を借りてたよ。たぶん高かっただろうね。でも少し経ったら、小さな家に引っ越したんだ。「どうしてあそこから引っ越したの?」と訊いたら、「どうせ家にはほとんどいない。9時に出て、9時に戻るから」と。

ミシェル・クワンはトレーニング着を穴が開くまで着て滑っていた。「何か新しいのを買ったら?」と彼女に言うと、「いいえ、これは私の2枚目の皮膚だから。快適すぎるの」と答えたんだ。こんなこと、想像できるか?どんなことにミシェルや真央が余計なお金を使うんだろうか?そんなのはなかった。自分のしていることに対してあまりにやる気があったから、自分の周りのことにはほとんど関心をもってなかったんだ。これが本物のチャンピオンだね。


(中略)

(ミシェルや真央のようなレベルのスケーターとまた出会いたいと思いますか?)
ねえ、こんな昔の絵を思い出すんだ。テレビでフィギュアスケートが流れていて、ウォームアップが行われている。壁際にはチャイコフスカヤとタラソワが立っているのが見える。私には、いつか彼女たちの隣に立ちたいという夢があった。それが叶ったんだ。ソルトレイクシティのオリンピックで、最終グループの練習のときに、プルシェンコを引き上げたミーシン、ヤグディンとタラソワ、そして私とアブトだ。そのとき、これが私のキャリアすべての瞬間だと理解したんだ。

今は、何かもっとしたいことはないかという問いは、自分にとって存在しない。最近よく言ってるんだ。「神よ、感謝いたします。おそらく、私が欲したものはすべていただきました」と。私は幸せだよ、これ以上特に何も必要ない。

(終)

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アレクセイ・ヤグディン:「五輪金で貰ったのは…」(2)フィギュアスケートから鮮やかさが消え去ろうとしている

ヤグディン・インタの後半です。
スケート連盟といろいろ禍根を残しているようですが、俳優業に新しい道を切り開いているようですね。賛否両論のようですが…。

また、適宜改行を加えています。

* * *

アレクセイ・ヤグディン:「オリンピックの金メダルに対してもらったのは、ブラック・チョコ100kgのバウチャーだった」


http://www.kursiv.kz/news/details/mental_pabulum/aleksey_yagudin_za_olimpiyskoe_zoloto_mne_dali_vaucher_na_priobretenie_100_kilogramm_chernogo_shokol/?sphrase_id=107040

(続き)

(アレクセイ、金メダルをとったときに通常クレムリンに招待されるはずが、あなたは招待状を受け取りませんでした。泣くくらいがっかりしたと言われていますが…)
そんなこともあった。タチヤナ・アナトリエヴナ・タラソワと一緒にオリンピックで優勝した。どの国でも、オリンピックの後はアスリートを大統領パーティに呼んでねぎらうものだが…。そのときは…プーチン?今もプーチンだけど(笑)。で、率直に言うと、私にとってそれが人生で一番重要な瞬間にはならなかった。大統領とは会わなかったから。

でもタチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)は、たしか11人をオリンピック金メダリストにまで育てた人だが、彼女にとっては大統領と会って感謝の言葉をもらうという事実が重要だった。それでタラソワは本当に数日間号泣していたよ。もうショックで強烈な一撃だったんだ。連盟からこんな敵対的な行動があるとは思ってはいたんだけど。

ソルト・レイク・シティのロシア・ハウスでも、私のために乾杯をする時、私の苗字をどうやって発音するのかも知らなかったくらいだったしね。カザフではそんな問題はないでしょう、まだ連盟は大きくないから…。私にとって、その瞬間も、今でも、タチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)のためにとても悔しく思っている。私自身はそういったことに冷静に対処しているが。

(オリンピックに対してメダルや褒章は与えられたのでしょうか?)
褒章はその後で渡された。12年前は今とはまったく違っていたけどね。今は自動車やマンションがもらえるけど、そのときは…。ところで、最近イリヤ・アヴェルブフと思い出してたんだが、オリンピックの金メダリストとして私がもらったのは、100kgのブラック・チョコレートの無料バウチャーだった。その時のオリンピックチームのスポンサーがどこかのチョコレート工場だったんだ。アヴェルブフには50kgのチョコレート無料券が提供された。アヴェルブフはもちろんどこにも電話しようとしなかったけど、私の母は、ソ連時代の市民として、この100kgをもらおうと最後まで頑張ってたよ。でも、結果はでなかったけどね。そのときのオリンピックのユニフォームにはOlympicの綴りも間違って載っていたくらいだから…。

(オリンピックでロシアの国旗が掲げられたときはどう感じられましたか?)
ある程度の期間、オーストリアとフランスで暮らしていたことがある。でも今は、私がロシア人でロシアのために演技ができたことを誇れる。ロシア人ジャッジが見る大会では全く勝てなかったけどね。とても悲しいことだけど、事実だ。オリンピックについていえば、もう無気力だった。表彰台に立っていても、なにが起きてるか理解できない。疲れてて、スポンジみたいに押しつぶされて…。

(中略)

(アレクセイ、俳優としてのキャリアを継続される計画のようですが、演劇界での仕事はどのように進んでいますか?)

キャリアを終えたアスリートには同じ疑問が起こる。「この先どうするか?」 そう考えている期間は、誰にも何も分からない。人生にはいったい何があるのか?私たちはスポーツで大人になったのであり、私たちを取り巻く生活環境の中で大人になったわけじゃない。だから、アスリート全員にとって、普通の生活の中に自分を見つけるというのがとても重要になる。満足感やアドレナリンをもたらしてくれる職業を見つけることが。その意味で私は幸せな人間だ。快感をもたらしてくれる仕事があるのだから。それはショーに出演して、何らかのイメージを創りだすこと。普通の人には4回転ジャンプなんて必要ないんだ。3回転だって、フリップかルッツかだって、何のジャンプをしたのかもわからないんだから。普通の人に必要なのは、感覚だったり、エネルギーだったり…。小さなスペクタクルだ。

フィギュアスケート自体も以前の方がかなり面白かった。6.0システム時代には、イメージを創造することができた。今は、残念ながら、演技者はとても厳しい枠にはめられている。最大限の点数を獲るためにロッカーだの、スリーだの、図形をすべて描かなくちゃいけないんだ。フィギュアスケートから個性や鮮やかさが消え去ろうとしている。

それで近年は、多数のプロジェクトによってだけ変わり始めたんだ。私たちは氷上の俳優になった。私はこの方向で今後も進んでいきたい。今のところ3つの芝居があるけど、残念ながらそんな頻繁にはできていない。劇場は半年前から私のスケジュールを押さえようとするけど、その機会を提供できないからだ。でもまさに演劇に、私は入りたいと思う扉を見つけた。

(後略)
(終)


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