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アンナ・ポゴリラヤ:医者に転んじゃダメって言われた

リプニツカヤのインタはロシアぶろぐ(仮)さんですでに訳されていたので、ポゴリラヤのインタを紹介します。

浅田やコストナー、リプニツカヤの素晴らしい演技の影に隠れてしまった感はなきにしもあらずなのですが、ポゴリラヤも演技をまとめてPBを6点更新して66点という素晴らしい点数を出してくれました。顔も少し変わってきたような感じがします(化粧が変わった?)。

なのに、インタビューはまだ素直さがでていてすごく可愛らしく感じますね。GPS優勝経験のある、すでにトップスケーターの仲間入りをしている選手なのに、オリンピックではユーリャを応援してた!って、なかなか言えないことだと思うんですよね。

というわけで、どうぞ。

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アンナ・ポゴリラヤ:医者に転んじゃダメって言われてる


http://www.team-russia2014.ru/article/figur/16584.html

(アンナ、演技のあとに観客が立ち上がったのを見て驚かなかったですか?)
もうただ単に驚くような感じ。だから、フリーを前にして嬉しさを通りこして落ち着きと自信を感じた。

(リンクに出る前は緊張しましたか?)
他の大会と同じか、少ないくらい。

(それはなぜ?)
わからない。言えるのは、ロシア選手権の方がもっと緊張してたということ。

(ものすごい観客の数については?)
ジャッジの方を見てて、上の方は見てなかった。

(練習ではルッツに問題があったようですが、今日の調子はどうでしたか?)
他のエレメンツもそうだけど、50:50。できないかもしれないという感覚はあった。私は鉄の女じゃないから。

(でもルッツは良い出来でしたね)
でもよくこんな感じになるけど。

(ワールドと福岡のGPFの間がだいぶ空きましたが、そのときのアーニャ・ポゴリラヤと今日の彼女は違う人間のようです。その間に何がありましたか?)
怪我があって。転んじゃいけないみたい。転ぶと、足の筋肉がまた剥離するって。お正月のあと、1月2日の練習でそれが起きちゃった。エッジが欠けてて。たぶん、最後の練習の後にタイルを踏んじゃったみたいで、それがエッジの問題の原因だった。

(それが怪我の原因にもなったのですか?)
そう、練習でショートをかけてたんだけど、ステップで5回位転んでしまって。ただ単にエッジが滑って、転びに転んでそのせいで怪我になっちゃった。その後お医者さんが、私が転倒することを禁止したんだけど、それが強い動機になったというのはある。モチベーションになって、プラスに働いたの。今は怪我はまったく影響がない。お医者さんはとてもよくしてくれた。何があったかって?筋肉の部分剥離。でも怪我は複数の筋肉の部位に及んでた。

(ロシア・カップ・ファイナルは怪我のあとの最初の大会だったのですか?)
そう。すごく良い滑りができた。それでもっと自信ができた。

(ロシア・カップ・ファイナルではワールド出場について何か言われていましたか?)
ううん。落ち着かなくなるから早くには言わなかった見たい。たぶん、そのせいで、ワールドに出場するとちゃんと知ったときも、とても落ち着いていられた。

(オリンピックはどんな思いで見てましたか?)
ただ単純に応援してた。自分が出る時よりも胃がキリキリした。

(特に誰を応援してましたか)
ユーリャ。もちろん他のみんなも。でも他の人たちはユーリャほどじゃないけど。

(彼女の成功にはうれしかったですか?)
もちろん、もっと成功しても良かったと思う。でも、それでもユーリャには金メダルがある。国別対抗戦のだけども、リプニツカヤはオリンピック金メダリストだから。彼女は言うまでもなく大変だったと思う。ユーリャはまだちっちゃいからしょうがない。彼女の立場にいたら、チーム対抗戦でみんながみんなちゃんと滑れるとは思わない。なのに、彼女はきちんとやりとげた。

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

タチヤナ・タラソワ:浅田とコストナーがミスしないと誰も勝てない

昨日の女子シングルは素晴らしい大会でしたね!浅田、鈴木、コストナーの滑りは永久保存版でした。リプニツカヤやポゴリラヤも良い滑りを見せてくれて、とても堪能しました。

私の感想はこんな感じ



タラソワ・コーチのリプニツカヤについてのコメントが出ていたので、紹介します。

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タチヤナ・タラソワ:浅田とコストナーがミスしないと誰も勝てない


http://news.sportbox.ru/Vidy_sporta/Figurnoe_katanie/w/spbnews_NI444754_Tatiyana-Tarasova-Asadu-i-Kostner-mozhno-pobezhdati

ユーリャ(リプニツカヤ)は非常に良い滑りを見せた。できることすべてをやりきってね。エレメンツはすべてクリーンだった。彼女はとても大きな可能性と強い性格をもった、真面目で若いスケーター。オリンピックでできなかったフリップのクリーンな着氷を見せられた。

しかし、彼女は素晴らしいスケーターを相手にしている。浅田真央もカロリーナ・コストナーも、自身のミニ・スペクタクル(SP)の中で完璧だった。彼女たちがミスをしなければ、競争するのは難しいことでしょう。もう10年以上もフィギュアスケート界で勝ち続けていて、非常に高い芸術レベルで滑っているのだから。

リプニツカヤにとっては今回が初めてのワールドだけど、彼女たちにとっては最後のワールドなのです。そう考えると、リプニツカヤのショートの結果は素晴らしいものだと思う。

(リプニツカヤに金メダルのチャンスはありますか?)
全員にチャンスはある。転ぶ人もいるだろうし、ミスをする人もいる。プログラムは、スポーツと芸術が交じり合っている。音楽に素晴らしく浸透し調和したレベルで滑っている。スケーターの創造的な潜在力は、コーチや振付師、それからスケーター自身の精神によって完全に開花されている。

スケーターの音楽を聴く能力というのは、非常に稀な才能で、年月をかけてとても能力の高い人たちにやってくるものだ。リプニツカヤは今、この素晴らしいスケーターたちと同じレベルに立っている。彼女にはまだとても長い道のりがまっていて、創造性の完全さと技術的な完全さを追求するために練習を続けなければならない。浅田真央とカロリーナ・コストナーは巨人だ。彼女たちに勝つのは、彼女たちがミスをしたとき。リプニツカヤも勝ったことがある。

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

マクシム・コフトゥン:落ち着いて準備をして、滑りきった

世界選手権、男子シングルが終わりました。何よりもまず、第1Gから第4Gまでストリームで流して、第5・6GもLIVEで余計な煽りなど入れず流してくれたフジテレビに本当に感謝です。

それにしても、いやー、町田のエデンの東は最高でしたね。レイチェルと町田のエデンの東は殿堂入りです(私の中で)。あと、トマシュには嬉しかった。

ロシアからの唯一の代表のコフトゥンですが、得意の4Sでミスが出て7位スタートとなりました。ただ、滑り自体は悪くなかったとの自己分析のようです。インタビューがありましたので、抄訳を紹介します。


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マクシム・コフトゥン:落ち着いて準備をして、滑りきった


http://www.allsportinfo.ru/index.php?id=81882

滑りにはほぼ満足だけど、うまくいかなかったのもある。前にも言ったことがあるけど、ショートでは失敗は許されない。俺が誰かに何か証明しなくちゃいけないという意味じゃなくて、単にショートがうまくできるとフリーを滑るのがだいぶ楽になるんだ。ただ楽しく滑れるようになる。あと、最後まで戦い続けられたことも嬉しい。トウループは跳び慣らしたとはいえないから。4Tからのコンビネーションなんて計画してなかった。でもサルコウが回転不足になってしまって。それに3Tをつけなかったから、トウループをコンビネーションにしないとだいぶ点数を失うってわかってた。

(つまり、このコンビネーションはあまり跳んでいなかったと)
そう。あてにしたことがなかった。いつもこのコンビネーションはうまくいかないから。

(そのことでは振付のピョートル・チェルヌィシェフも褒めてましたよ、やっと頭をオンにしたと言って。)
実際、ショートは覚えるのがそんなに難しくない。コンビネーション1つ、ジャンプ1つとアクセル。もう1度言うけど、予定では4-3だったのが、練習不足のコンビネーションになって4-2をしたんだ。

(サルコウのミスはなぜ?)
スロー再生で見たらわかったけど、ちょっとだけ蹴りが足りないまま回転から出てしまったようだ。全力で回らなくちゃいけないんだけど、そのせいで開くのが少し早くなってしまった。でないとインサイドで着氷しちゃうから。でもこれってすごい早さでやってるんだ。ほぼ自動になってる。スロー再生でやっとわかった。でもいずれにせよ、こんなふうに滑れたから、フリーはかなり落ち着いて滑るチャンスは貰ったと思う。

(昨年のワールドとの演技の違いは?)
カナダでは全くうまくいかなかった。緊張について言うと、今はこんなハイクラスの大会でも出場の仕方が変わった。観客席は満杯だけど、集中して、頭を働かせて。自分に違った感覚が生まれてるのを好ましく思う。ワールドというのは、俺が出なくては行けない大会だという感覚に単に慣れた。気持ち的に、こういうレベルの大会に出るのがだいぶ楽になったと言える。観客席にどれだけ人がいようと同じ、関係ない。すべての人が、1人の大きな観客へと溶けこむんだ。俺にとって重要なのは、集中する能力。

(ユーロとワールドの間はだいぶ空きましたが、大会にはまったく出場しませんでした。そのことが今日の滑りに何らかの影響を与えたのでしょうか?)
まず、休んでいた。落ち着いてコンディションを整え始めて、練習では全部うまく行っていた。準備状況は悪くなかった。そんな準備ができていなければ、こんな風に闘うことはできなかっただろう。練習では自分を責めなくてはいけないこともあった。大会の経験を長いこと持てなかった、とは言わない。恐ろしいことなんてなかった。落ち着いて準備して、滑りきったんだ。

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

マクシム・コフトゥン:「今回のワールドでは何位になるかとか、何枠取らなくちゃいけないだとかは考えない」

ワールド直前!ロシアは全種目ライブストリーミングがあるようなので、日本のテレビで見られなくても大・丈・夫!

というわけで、コフトゥンが試合直前の意気ごみを語っています。昨年のワールドでのプレッシャーは半端ないものだったでしょう。今年はプレッシャーから離れて、いつもどおり滑ってください。枠はあとから付いてくるでしょう。

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マクシム・コフトゥン:ヤナ・ルトコフスカヤには何も答えない


http://www.sovsport.ru/news/text-item/697701


(マクシム、ヤナ・ルトコフスカヤが、男子で欠場する人数が多いから、あなたの順位は3位より下になってはいけないとTwitterで書いていますが)
コメントしたくない。ヤナ・ルトコフスカヤには何も答えない。俺から個人的に言えるのは、今回のワールドでは何位になるかとか、何枠取らなくちゃいけないだとか考える意思は全くないということ。別にきれいごとを言っているわけじゃない。ただ1つ大きな希望があるだけ。クリーンに滑って、プログラムの全てのエレメンツをやって、シーズンをまさにそういった風に終わらせて先へ進むということ。来シーズンのプログラムについても始めなくちゃいけなくて、アイディアというレベルではもう決めつつある。音楽も聞いて議論してるところ。

(5回の4回転についてはもう決められましたか?2つのプログラムで5回の4回転をするつもりでしょうか、それとも、もう少し楽なバージョンを試す予定なのでしょうか。ワールドのメダルは、今とても現実的なものだということは同意なさるでしょう。国際的な権威という観点から、あなたの将来にとって必要なものです)
重要だということはわかってるけど…。4回転は状況を見て決めるということは決まってる。ショートでは2回跳んで、そのあとは様子を見る。いろんなバージョンを検討してる。通常のやつ、軽いやつ、難しいやつ、などなど…。どれも滑り込んでるから、繰り返しになるけど様子を見て、だね。

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コンスタンチン・メンショフ:「15歳のころにはお金が稼げるようになったので、少し楽になった」

1ヶ月も前ですが、サンクトペテルブルクの建設ポータル「クトー・ストロイト・ルー」に、コンスタンチン・メンショフのインタビューが掲載されていました。(おそらく)彼女のマリヤ・アルテミエワと一緒に新居で写っている写真が微笑ましいですね。

後半部分は新しいマンションをどうやって決めたかという技術論?が中心なので省略しましたが、白眉は前半部分!メンショフさんも、やはりソ連崩壊当時は生活が大変だったんですね。15歳でお金が稼げるようになって生活が楽になったと言っていて、少し驚きました。

前半部分について抄訳しましたので、ご参考まで。

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コンスタンチン・メンショフ:「自分たち自身で叶える夢」


ナタリヤ・クズネツォワ
http://ktostroit.ru/news/interview/216651/

ソチでの冬季オリンピックが終わりを迎える中、ある都市テレビ局が、ペテルブルクのフィギュアスケーターであるコンスタンチン・メンショフについてのドキュメンタリーを放映した。2010年のロシア選手権金メダリストでオリンピック・チームのメンバーであり、まさに先月欧州選手権の銅メダリストとなった人だ。

新しいマンションの購入がメンショフのプライベートにおいて、最も大きな出来事の一つとなった。「建てる人」誌の質問に対し、コンスタンチンは親切に回答することに応じてくれて、たった今リフォームを終えたばかりのマンションを見せてくれた。

(あなたのスポーツ人生はどのようにスタートしたのですか?どうしてフィギュアスケーターになったのですか?)
子どもたちはみんなそうだと思うけど、両親がスケート場に連れてきてくれたんだ。私と兄の2人を。双子の兄がいるんだ。遊ぶために連れてきてくれたんだけど、同時に、健康になるためでもあった。私は子供の頃よく扁桃腺炎にかかっていたから。それで、私がもっと頻繁に新鮮な空気を吸わなくてはいけないと、両親は「毒をもって毒を制す」という医者の薦めにしたがって決めたんだ(リンクは屋外リンクだった)。兄と違って私は全てあまりにうまくできていたものだから、最初のコーチであるガリーナ・ヴァレンチノヴナ・カシナが、「ユビレイヌィ」体育施設の教室に移したほうがいいんじゃないかと両親に勧めたんだ。そこでは子どもたちは真剣にフィギュアスケートの練習をしていた。地元の屋外リンクと違ってね。こうやってキャリアが始まったんだ。

(今日、フィギュアスケートは、子供のレベルでさえも、練習費用がもっともかかるスポーツの1つです。そのときはどんな感じだったのでしょうか、また両親にとってはどのくらい大変だったのでしょうか。)
そのころはまだスケートはかなり単純だったよ。練習や装備品はほとんどお金がかからなかったし、教室代も手が届くものだった。私も一番簡素で安いスケート靴で滑っていた。もしかすると、私を毎日練習に連れて行くのがちょっと大変だったかもしれない。モリス・トレズ大通りに住んでいてたから。一番つらかったのは1990年代だ。その頃父は仕事を変えて、できる限りで飛び回っていた。父が自動車事故にあって何年か働けなくなってしまったときは、家族みんなを母1人で引っぱっていた。そんなときでさえ、私達家族のすべては私中心で回っていたんだ。私の練習と大会のために。そのことについて、両親に感謝している。15-16歳の頃には少し楽になった。小さな子どもたちを教えるコーチを手伝ったり、プライベート・レッスンをしてお金を稼げるようになったから。その頃稼げていたのはほんの少しだったけど、それでも必要だったんだ。

(自分のマンションを持って、完全に独立すべきだと思ったのはいつ頃ですか?)
もう大人で、両親と独立して住むべきだという意識はかなり早いうちからあったけど、それを実現するのは不可能だった。最初のマンションは数年前に買ったんだけど、すでにロシア代表チームのメンバーとなっていて、それなりの財政支援があったからだ。マンション探しと購入のイニシアティブを握っていたのは、その時つきあっていた彼女だった。彼女が自分で建設会社や地域、マンションと間取りを選んだ。建設中のマンションを買うのにローンを組んだんだ。マーケットではエコノミークラスの手頃な住居を提供するので有名な会社だった。3年後にはローンを返し終えて新しい住居に入る予定を組んでいた。でも、引き渡しの頃にはその女性とももう別れていて、彼女にその部屋を渡したんだ。私は両親のところに戻ることができたけど、彼女には住むところがなかったから。この初めての3年間にわたるローン返済と、建設完了を待っていた経験を経て、次のマンションは整備されている地区にすでにできているのにしようと決めた。おそらくかなり高いものにはなるだろうけど待つのはもう嫌だし、言わばベルトをきつく締める用意はできていたから。

(後略)

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