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アレクセイ・ヤグディン:「五輪金で貰ったのは…」(2)フィギュアスケートから鮮やかさが消え去ろうとしている

ヤグディン・インタの後半です。
スケート連盟といろいろ禍根を残しているようですが、俳優業に新しい道を切り開いているようですね。賛否両論のようですが…。

また、適宜改行を加えています。

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アレクセイ・ヤグディン:「オリンピックの金メダルに対してもらったのは、ブラック・チョコ100kgのバウチャーだった」


http://www.kursiv.kz/news/details/mental_pabulum/aleksey_yagudin_za_olimpiyskoe_zoloto_mne_dali_vaucher_na_priobretenie_100_kilogramm_chernogo_shokol/?sphrase_id=107040

(続き)

(アレクセイ、金メダルをとったときに通常クレムリンに招待されるはずが、あなたは招待状を受け取りませんでした。泣くくらいがっかりしたと言われていますが…)
そんなこともあった。タチヤナ・アナトリエヴナ・タラソワと一緒にオリンピックで優勝した。どの国でも、オリンピックの後はアスリートを大統領パーティに呼んでねぎらうものだが…。そのときは…プーチン?今もプーチンだけど(笑)。で、率直に言うと、私にとってそれが人生で一番重要な瞬間にはならなかった。大統領とは会わなかったから。

でもタチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)は、たしか11人をオリンピック金メダリストにまで育てた人だが、彼女にとっては大統領と会って感謝の言葉をもらうという事実が重要だった。それでタラソワは本当に数日間号泣していたよ。もうショックで強烈な一撃だったんだ。連盟からこんな敵対的な行動があるとは思ってはいたんだけど。

ソルト・レイク・シティのロシア・ハウスでも、私のために乾杯をする時、私の苗字をどうやって発音するのかも知らなかったくらいだったしね。カザフではそんな問題はないでしょう、まだ連盟は大きくないから…。私にとって、その瞬間も、今でも、タチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)のためにとても悔しく思っている。私自身はそういったことに冷静に対処しているが。

(オリンピックに対してメダルや褒章は与えられたのでしょうか?)
褒章はその後で渡された。12年前は今とはまったく違っていたけどね。今は自動車やマンションがもらえるけど、そのときは…。ところで、最近イリヤ・アヴェルブフと思い出してたんだが、オリンピックの金メダリストとして私がもらったのは、100kgのブラック・チョコレートの無料バウチャーだった。その時のオリンピックチームのスポンサーがどこかのチョコレート工場だったんだ。アヴェルブフには50kgのチョコレート無料券が提供された。アヴェルブフはもちろんどこにも電話しようとしなかったけど、私の母は、ソ連時代の市民として、この100kgをもらおうと最後まで頑張ってたよ。でも、結果はでなかったけどね。そのときのオリンピックのユニフォームにはOlympicの綴りも間違って載っていたくらいだから…。

(オリンピックでロシアの国旗が掲げられたときはどう感じられましたか?)
ある程度の期間、オーストリアとフランスで暮らしていたことがある。でも今は、私がロシア人でロシアのために演技ができたことを誇れる。ロシア人ジャッジが見る大会では全く勝てなかったけどね。とても悲しいことだけど、事実だ。オリンピックについていえば、もう無気力だった。表彰台に立っていても、なにが起きてるか理解できない。疲れてて、スポンジみたいに押しつぶされて…。

(中略)

(アレクセイ、俳優としてのキャリアを継続される計画のようですが、演劇界での仕事はどのように進んでいますか?)

キャリアを終えたアスリートには同じ疑問が起こる。「この先どうするか?」 そう考えている期間は、誰にも何も分からない。人生にはいったい何があるのか?私たちはスポーツで大人になったのであり、私たちを取り巻く生活環境の中で大人になったわけじゃない。だから、アスリート全員にとって、普通の生活の中に自分を見つけるというのがとても重要になる。満足感やアドレナリンをもたらしてくれる職業を見つけることが。その意味で私は幸せな人間だ。快感をもたらしてくれる仕事があるのだから。それはショーに出演して、何らかのイメージを創りだすこと。普通の人には4回転ジャンプなんて必要ないんだ。3回転だって、フリップかルッツかだって、何のジャンプをしたのかもわからないんだから。普通の人に必要なのは、感覚だったり、エネルギーだったり…。小さなスペクタクルだ。

フィギュアスケート自体も以前の方がかなり面白かった。6.0システム時代には、イメージを創造することができた。今は、残念ながら、演技者はとても厳しい枠にはめられている。最大限の点数を獲るためにロッカーだの、スリーだの、図形をすべて描かなくちゃいけないんだ。フィギュアスケートから個性や鮮やかさが消え去ろうとしている。

それで近年は、多数のプロジェクトによってだけ変わり始めたんだ。私たちは氷上の俳優になった。私はこの方向で今後も進んでいきたい。今のところ3つの芝居があるけど、残念ながらそんな頻繁にはできていない。劇場は半年前から私のスケジュールを押さえようとするけど、その機会を提供できないからだ。でもまさに演劇に、私は入りたいと思う扉を見つけた。

(後略)
(終)


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アレクセイ・ヤグディン:「五輪金で貰ったのは…」(1):ミーシン、タラソワとも喧嘩した

カザフスタンでのマスタークラスを前に、デニス・テン、アレクセイ・ヤグディン、ブライアン・ジュベールが記者会見を行ったようで、ヤグディンのインタビューが掲載されていましたので紹介します。

ちょっと長いので、一部抜粋(といっても、ほとんど)してます。また、一段落が長いので読みやすく管理人が改行を入れました。

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アレクセイ・ヤグディン:「オリンピックの金メダルに対してもらったのは、ブラック・チョコ100kgのバウチャーだった」


http://www.kursiv.kz/news/details/mental_pabulum/aleksey_yagudin_za_olimpiyskoe_zoloto_mne_dali_vaucher_na_priobretenie_100_kilogramm_chernogo_shokol/?sphrase_id=107040

(前略)

(このセミナーについて教えて下さい)
たぶん単なる偶然なんだけど、ここに3世代のスケーターが集まって、生徒たちだけでなくコーチとも交流することになる。私が引退したのはもうだいぶ前だけど、ブライアン(ジュベール)がその決定をしたのはつい最近で、デニスはまだ始まったばかりだ。このセミナーの目的は、単に何かを教えるというだけではない。5日間でそれはほとんど現実的じゃないとよくわかっている。デニスも「すべてを捧げた」と言っていたが…。私たちはみなその瞬間を経験してきた。

アレクセイ・ウルマノフ(※)と同じ練習リンクで練習していたことを覚えている。彼は私に何か教えてくれていたんだけど、彼がなにを言おうがまったく関係なかった。私に必要だったのは、単に彼としゃべるということだった。ほら、彼がオリンピック金メダリストなんだ、ということが私の頭のなかにできあがるように。彼が現実に存在するんだということを。つまり、なんでもできる、ということを。

だから、私たちは子どもたちに教えるだけじゃなく、おしゃべりもしたい。私たちのタイプが違うというのも素晴らしいことだ。なぜ年齢のことを言うのかと言うと、私たちは異なる世代のスケーターというだけでなく、異なったフィギュアスケートのシステムを代表しているからだ。どんなふうに教えようかと相談して決めたのは、スケーターが私たちの誰からも話を聞ける機会をつくろうといういうこと。私の見方なんだが、コーチによる教育やコーチへの敬意があっても、スケーターは自分の中に軸があるべきで、コーチとのある種の対立というものあるべきだ。演劇でもそうだが、対立の上に仕事というのが成り立っている。私はいつも自分の意見を持っていた。もしアレクセイ・ニコラエヴィチ・ミーシンと喧嘩をせず、そのために彼が私を練習から追い出さなかったら、何もできなかったんじゃないかと思う…。

(アレクセイ、ミーシンと喧嘩したとおっしゃいましたが、タラソワともそうだったんでしょうか?)
喧嘩したし、喧嘩しているしこれからも喧嘩するよ!上の世代や何かを達成した人たちには大きな敬意をもって接するけど、それでも仕事はすべて人の間の何らかの対立の上に成り立っている。タラソワとも、そう、喧嘩した。

カルガリーに出発する1週間前にあまりに激しい喧嘩をしたものだから、彼女は私と何日も話もせず、チケットも変更してオリンピックには私と一緒には行かないと言い出したくらいの気まずい瞬間もあった。でもその後で万事がまとまった。

私は頑固な人間だ。でも、喧嘩の多くは誰かとの間ではなく、むしろ自分自身の中で行われている。そして、一番良い成績があったのはいつも何かで同意できなかった時なんだ。ただ喧嘩したいということではない。私には自分の意見があるというだけだ。スケーターはみなコーチの課題を遂行するけれど、人が何らかのプロ意識を得たら、自分の意見というものが現れるはずだ。スケーターもみな個人なんだから。

(続く)

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