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ユリヤ・リプニツカヤ:『ページはめくられた。私には新しい人生と、新しい計画がある』(前)

現役引退を発表したユリヤ・リプニツカヤが、ロシア・スケート連盟公式サイトのインタビューに答えていますので、2回に分けて紹介します。

追記:後編をアップしました!
ユリヤ・リプニツカヤ:『ページはめくられた。私には新しい人生と、新しい計画がある』(後)



ユリヤ・リプニツカヤ:『ページはめくられた。私には新しい人生と、新しい計画がある』


2017/9/12 / オリガ・エルモリナ / ロシア・スケート連盟公式サイト


(ユーリャ、現役引退を決めたことは、どれだけ意識的なことだったのでしょうか。)

今回は100%、私の確固たる決心です。このために私は1ヶ月や2ヶ月、3ヶ月だけでない時間を費やしました。つまり、十分に長いこと考えて、すべてをプラスとマイナスの秤にかけていました。冬に治療のためにクリニックに行ってかなり長くそこに滞在していましたが、その際に、信じてほしいのですが、すべてのことについて考えるための時間が十分にありました。現役を引退するという決定にいたったのは、現実的ではないくらいつらいことでした。本当に、私は毎日、寝るときも起きるときも、これからどうなるのだろうという思いだけでした。クリニックにいる間、カウンセラーとたくさん面談しました。優秀なカウンセラーが多く、人生の中のプライオリティ、例えば健康に関するものだったりを作るのを手伝ってくれました。私は病気を直してフィギュアスケートに戻ると信じていましたから、たくさんの問題について真剣に考え込まなければいけませんでした。フィギュアスケートに戻ることについては私も確信していましたし、ママもコーチもみんな確信していたはずです!

イスラエルでの治療でしたが、クリニックで、入院から1週間過ぎた頃の休日に携帯電話が盗まれて、世界とのつながりがすべてちぎれてしまいました。まったく偶然のことだったのですが、このために私は長いことネットにもどこにも出ることがなかったのです。そして今になってやっと、何のためにこのことが私に起こったのかを理解しました。それは、私の人生に起こっていることを、本当に深くまで考えるためだったのです。このことはとても重要な役割を果たしました。もちろん、新しい携帯電話を買う機会はありました。しかし、こうなってしまったのは、そうなる必要があったからだと思いました。事実上、私は英語でさえない別な言葉をみんなが話す外国にいて、世界とのどんなつながりもありませんでした。記憶していたのは、ママの電話番号だけでした。後になってそれでも安い携帯電話を買って、当たり前のことですがママと親戚に電話をかけましたが。でも、それだけです。ですので、その間は、自分自身の治療と、退院してからどうするかについて考える以外にすることはありませんでした。


(何が一番怖かったですか?)

不確実であることです。私にとって一番恐ろしかったのは、この先どうなるのかを理解することでした。退院して、それで?特に、現役を引退する方向に99.9%流れていると意識し始めたときはそうでした。そのとき、この先について確信がないということだけでパニックが始まりました。ただただ悪夢!家に帰ってきて、最初の週はじっと考えていました。今後について、どうやって始めるのか、何をするのか。不確実性は恐ろしいものです。

ママにはすぐに話しましたが、私のことをわかってくれました。ママと一緒に、もう新しい人生なのだから、新しい人生が始まったんだと決めました。つまり、スケート連盟に行って、皆さんに正式にお伝えして、状況を説明して、どうしてこうなったのかについて伝えなくてはならないと思い、実際にそうしました。その後は、スケート連盟の幹部の皆さんとの間で、一緒に9月まで待って、テストスケートで、私は現役を引退したと正式に発表すると合意しました。それだけです。このことについて、ファンの皆さんと、ファン以外の皆さんにも、ご理解と、待っていただいたことについて感謝したいです。


(そのスケート連盟との幹部との面談で、スケート連盟幹部はあなたに対して、最終的な、慎重に考えた結論を受入れるため、すべてについてもう一度考えることを提案したのですね。トップレベルの強いスケーターを粗末に扱うことはありませんから。)


もちろん、4月には、この決定が感情的なものではないか、突発的なものではないかと訊かれました。でも、感情だけでこれだけの時間考えて決心するのは不可能です。そう、テストスケートまで考える時間をいただいたのです。しかし、私の中ではもうすべて決まったことでした。


(スケートで自分の可能性をすべて実現したとお考えですか?)

もちろん違います。まだやりたかったことがたくさんありましたし、シングルステーティングでももっと到達したいこと、より良くしたいことがたくさんありました。でも、こうなったことが結果のすべてです。実際、ソチ・オリンピックの後、私はアイスダンスで自分を試してみたいと思っていました。この希望は何年もあったものですが、多くの人に反対されて、すぐにこの考えは消えました。


(何のために完全な実現ができなかったのでしょうか。)

99%は身体の問題です。それがなければうまく行っていたことでしょう。診断が発表されたあと、どうしてそんなことをしたのと書かれたり訊かれたりしました。しかし私自身が発表しなかったとしても、いずれにせよその情報は広まったことでしょう。摂食障害は21世紀の病気で、かなり頻繁に見られるものです。残念ながら、みんながそれに対処できるわけではありません。このことについて隠さず言えば、そんなものにはなっていないと思っていました。唯一後悔しているのは、もっと早く公表すべきだったということでした。このことはもう1年や2年、3年だけでなく続いていたことですから。


(ソチ・オリンピックの後、あなたに降りかかってきた栄光は、先に進む力を与えてくれたのでしょうか、それとも逆に重くのしかかってきたのでしょうか。)

とても強く圧迫するものでした。力が残らないというだけではなく、本当につらかったです。私は外向的な人ではありません。いつもそうでした。子どもの頃からとても内向的でした。知らない人に話しかけるためには自分の中で努力する必要がありました。今はいろいろな人とかなり楽に話すことができるようになりましたし、人付き合いもかなり良くなりました。でも、私にはもうある種の習慣というか、ステレオタイプができあがっていて、それに従っています。それに、私を呼んでくれる新聞やテレビ番組すべてに出る必要があるとは思っていません。そういったことに賛同しませんし、これからもそうしないと思います。それよりも、短く要点を話して、反論する必要があるものについて反論する方が良いです。というのも、長く沈黙していたことと、早い時期に現役引退を発表したことに関連して、でしゃばりな人たちがたくさん這い出てきて、記事が書かれ、私が全然知らない人たちがインタビューされているからです。

最初は笑えていたのですが、そのうち頭がおかしいくらいの規模になってしまったんです!私が正体を暴露したいと思うようなフェイク情報がたくさん出てきました。これに真剣になる理由となったのが、「第1チャンネル」で放送された番組で、すべてのことがまったくの偽りでした。私が番組編成者たちに「どうしてそんな嘘の放送を認めたのですか?」と尋ねたら、「あなたはすべての情報をご自身で否定されていないのですから、それが真実である可能性はあります」と回答されました。このため、今、憶測に反論しなければならなくなりました。

続く

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

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