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アルトゥル・ガチンスキー:「ピノキオは永遠に棚の奥に消えたと願っている」(2)

ガチンスキーのインタビュー、続きを紹介します。たぶん、あと1回で終わると思います。

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アルトゥル・ガチンスキー:「ピノキオは永遠に棚の奥に消えたと願っている」


http://winter.sport-express.ru/figureskating/reviews/44139/
エレナ・ヴァイツェホフスカヤ

(続き)

(あなたがコーチを探しているという話があったときには、いろいろな名前が挙がっていましたが、なぜタラソワだったのでしょうか?)

ロシア選手権が終わってペテルブルクに戻ったときには、もうスケートは続けないと決めた。ママにはもう嫌になったと言った。フィギュアスケートにこれから先の未来は見えないと。失敗はもうたくさんだと。それで、数日は全く違う人生へと去っていた。普通の人生へと。

(それはどんな感じでしたか?)
映画館に行ったり、夜ごと街を歩いたり、頭が机に落ちるまでPCで遊んだり。なぜか本当にすぐ飽きてしまったんだ。それでタラソワに電話して、支援してくれないかと頼んだ。スケート日記を新しくおこして、新たな自分を「建てたい」くらいに、全てを変えたい。そう言った。

(あなたがミーシンからオレグ・ワシリエフに移りたいと思っているとの噂はどこからでてきたのでしょうか?)
コーチの変更を考え始めた最初の頃にそれについて考えていた。嵌ってしまった深い泥沼から誰が僕を引き上げることができるかわかろうとしたんだ。ワシリエフは強力な専門家だ。彼のところには素晴らしいスケーターたちがいて、その滑りは僕も好きだった。でも結局タラソワを選んだ。

1月6日にモスクワに来て会った。タチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)は、僕のためにちょっとした練習プランを作ってくれて、その計画に従ってCSKAでサーシャ・ウスペンスキーとマクシム・ザヴォジヌィと練習を開始した。単なる滑り、スケーティングの練習だ。ジャンプもなく、スピンもなく、ステップだけ。まるでちっちゃな子供のように、僕はそのやり方をまた最初から学んだんだ。ロッカー、カウンター、ループ、チョクトウ…

(前からできていたと思いますが、そうじゃなかったんですか?)
これまではそこに注意を向けることがなかった。フリーレッグを伸ばすなんてようなことも言うまでもなく。僕にとって、まったく普通のことじゃなく、慣れていないことだった。でも、フィギュアスケートで何かをしようとするならば、これらすべてが必要不可欠なことだと理解した。並行して腰の古傷も治療し始めた。ジャンプを跳び始めたのは、タラソワがオリンピックからモスクワに戻ってきてからだった。そのとき同時にプログラムを振付はじめた。

4月にタラソワはアメリカに行ったけど、彼女がいない間、エレーナ・ゲルマノヴナ(・ブヤノワ)と一緒にスケートを続け、4月のルジニキ・ショーの準備をしていた。練習の負荷がとても重かったとは言えない。腰に強い負担をかけるのはまだダメなんだ。

(ミーシンの下で滑っていた、ヒールをカットした靴から、普通の靴へと移行したのは簡単でしたか?)
スケーティングに取り組み始めたばかりのとき、多くのステップがまったくうまく行かなかったんだ。僕が「木の棒」みたいだったから。長年低いヒールで滑ってたから、いつも後ろに引っ張られていた。この状況では、常に体幹を支えることを考えなくてはならず、スケーティングがより拘束されてしまっていた。タラソワのところで練習を始めたときに、古い靴がまた壊れて使えなくなってしまったので、普通の靴に普通のブレードを使うことにした。

(ブレードも何か特徴があるものだったのですか?)
軽量化されていた。だから、よく壊れたんだ。1シーズンに3・4組は変えていた。

(それならなぜ軽量ブレードを選んでいたのですか?)
僕が選んでいたんじゃないから。たぶん、楽に滑るためだと思う。

普通のブレードでの練習が良かったというのは僕にとっても驚きだった。ジャンプも問題なくできるようになった。もちろん、はじめのうちてゃ感覚に全く慣れなくて、ぶれていたけどね。でもすぐに過ぎ去ったよ。

(続く)

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

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