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エヴゲニー・プルシェンコ「スケートに僕のピリオドはまた打たれていない」

祝・プルシェンコ生誕32周年ということで、大衆紙「論拠と事実」に掲載されたプルシェンコインタを紹介します。一問一答はじわじわ訳してますが、まだ時間がかかりそうですが、プルシェンコ週間ということで(?)今週中に分割して一部ご紹介しますね。こちらも面白いです。

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エヴゲニー・プルシェンコ「スケートに僕のピリオドはまた打たれていない」


http://www.aif.ru/sport/person/1370802
ウラジーミル・ポルパノフ

「もし身体にすべて問題なければ、2018のオリンピックにどうして出場しないことがあろうか」と「議論と論拠」紙のインタビューに対してエヴゲニー・プルシェンコは告白した。

「壊れるようなところはもうない」
(エヴゲニー、2018年のオリンピックに出場したいというあなたの宣言に対し、ヴィタリー・ムトコは「プルシェンコ以外にも戦士は十分にいる」と答えています。スポーツ大臣はあなたの意向を真剣に受け止めていないようですが…)
2006年にスケートから去り、タイムアウトを取った3年の休止のあと、バンクーバー・オリンピックに出場する意図を表明したとき、みんな気でも狂ったんじゃないかって思っただろう。僕のチームの中にも、僕のことをあまり信じられない人もいたぐらいだから。でもまずロシア選手権で優勝して、その後ステファン・ランビエール、ブライアン・ジュベール、それから、こんなことを言う人もいるけれど、僕がいつも道を譲らずに勝つことを禁じているロシアの若く見通しのあるスケーターもみな出場したユーロでも優勝した。それからようやく、3年も休んでから復帰するなんて不可能だと主張していたお偉方も、「ずっと君を信じてた」と言うようになったんだ。2010年のバンクーバーオリンピックのショートでトップに立ったとき、また体が震えた人もいるだろう。ソチで滑るという表明に至っては、まったくのヒステリーを呼び起こしてしまった。「プルシェンコの気が狂った!」ってみんなが声を揃えて言っていた。でも僕はそれを成し遂げた。何か言うときには、それを守ろうと努力する。そんな風に人生が教えてくれたんだ。スケートに僕のピリオドはまだ打たれていない。本当に5回目のオリンピックにでたいと思っている。身体に何の問題もなければ、どうしてリスクをおかさず、「不可能」を可能にしようとせず、2018年のオリンピックに出場しないと言える?ときどきヴィタリー・レオンチエヴィチ(・ムトコ)とも交流があるけれども、僕に対して個人的には信じていないとは言わないよ。

(ご自身のソチでの演技を、今どのように評価されていますか?)
ソチ・オリンピックは僕に大きな勝利と大きな失敗をもたらしてくれた。個人競技には出場できなかったけれど、国別対抗戦では、最高20点のうち19点をロシアチームに持ってきたんだからね。

(2018年にあなたの身体のどこかがまた壊れてしまうんじゃないかと怖くないですか?)
今もう壊れるようなところはもうないよ。必要な手術は終わったし、怪我も治療した。でも、2018年には僕は35歳だし、やっぱり手術を13回もしているから、将来のことを占いたくはない。でも、まだ戦う余力が残っていると、誰よりもまず自分に証明するためには、本当にたくさんの練習をしなければならないということはわかっている。今シーズンはパスするし、定期的な練習はしてるけれど、今のところ完全ではない。1年は4回転ジャンプをしないよう医者は勧めるけれど、もう4Tを跳んでしまった。でも、僕の武器庫にあるすべてのジャンプを取り戻すための時間はあると理解して、強制はしない。日本や中国、韓国、北朝鮮、ヨーロッパでの出演がこれからたくさんある。他の国での出演交渉も進めている。というわけで、身体をいっぱいに伸ばして仕事をしてるよ。それにくわえて、一大プロジェクトの「雪の王」の準備も進めている。イリーナ・スルツカヤ、ブライアン・ジュベール、ジョニー・ウィアー、カタリナ・ゲルボルト、トマシュ・ヴェルネル、ユニークなアクロバットのセルゲイ・ヤキメンコ、イリーナ・ウテンコ、イリュージョニストのサフロノフ兄弟といった友人たちが参加してくれる。サフロノフ兄弟は、カッパーフィールドのトリックをいくつか解明したと言って、ハンス・クリスティアン・アンデルセンの有名な「雪の女王」をモチーフに創られた僕のショーで、それを初めて見せてくれるって。

(ソチ・オリンピックの後、あなたのライバルがお金を出しているキャンペーンがあったと主張してますが、説明いただけますか?)
怪我をしたけれども僕が参加するチャンピオン・ショーのツアーは開催されるとソチで僕が言ったとき(自分自身が滑るとは言ってなかったけれども)、フィギュアスケート界の僕のライバルたちが、自身もいろいろなショーやツアーを行ってるのに、テレビ番組でこんな風に批判したんだ。「オリンピックを危険したのに、商業ツアーには出かけるなんて、いったいどうやって…醜悪なことだ!」って。でも、僕が主催者で、僕の名前でショーの出演者(外国人もロシア人もいる)との契約にサインしたのだから、仕事を最後まで持っていかなければならなかったんだ。

ツアーは開催されたけれど、僕は出演しなかった。そうしたら、オリンピックを棄権したその2週間後にどこかのロシアの都市でもう僕が演技をしているなんて情報を、その人たちはまた広め始めた。そんあことはなかったんだ。ソチ・オリンピックのあと初めて出演したのは、2ヶ月前の日本と中国でだ。そう、これらすべては計画された活動だった。僕のツアーのチケットは売り切れているのに、僕のライバルたちのショーのチケットはあまり売れていなかったとみんな知っていた。それがビジネスだとはよくわかっているけれども、ビジネスはルールに則って行わないと。一番嫌だったのは、こういった人たちはみなプロのスケーターで、深刻な怪我というのがどういうものかのか、人の話でなく理解しているということだ。ジリノフスキーについては、まあいいや、僕への悪口PRも彼については許せるけど、僕の「同僚たち」については…。彼らの振る舞いが恥ずかしい。普通の人たちの多くは、ソチで実際に何が起こったのか、今でも知らないんだろう。

(実際には何が起こったのでしょうか?)
椎間板のボルトが折れて、滑ることができなかった。今僕は、選手交代や、その他にもたくさんのことについて詳細に述べる本を書いている。僕を支えてくれたことに対して、プーチン大統領とスポーツ関係者幹部にとても感謝している。手術後、テレビ番組の「ヴレーミャ」で僕の折れたボルトを見せたら、スケーターやアーティストの多くが電話をくれて謝ってくれた。医者は肩をすくめて「幸せに生まれついたんだね」って言ってたけど。

アメリカは断った
(アメリカが、アメリカ代表として参加しないかと提案してきたというのは本当ですか?)
そう、ソチの後、かなり高名な人たちが僕に非難を浴びせているその攻撃が最高潮だったとき、アメリカから、アメリカ代表として演技をしないかという提案があった。そのテーマで深い話し合いをした。同じような提案を15歳のときにも受けている。そのとき、ロシアではみなスポーツどころじゃなかった。本当の崩壊だった。今はもちろんまったく違う。いずれにせよ、僕は自分の国が好きだし、ロシアのために4つのオリンピックのメダルを求め戦ってきた。アメリカのために演技をするという提案は、15歳の時も、今回も断った。

(「フォーブス」誌はあなたの年収を280万ドルと計算しています。これは真実に近いのでしょうか?)
僕の稼ぎはすべて申告している。僕の申告書を見れば、全部書いてあるよ。

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

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