無料アクセス解析

エヴゲニー・プルシェンコ一問一答(3):印象深いメダル、コーチ業について

プルシェンコ一問一答の続きです。

* * *

(他のスポーツと比べて、フィギュアスケートが一番面白くて素晴らしいのはどんなところでしょうか?)
スポーツはなんでも好きだ。ホッケー、サッカー、ゴルフ、テニス、卓球、ダーツ、チェス、ナルディ(※バックギャモンのようなゲーム)、ポーカー、ビリヤード、カーリング、ボーリングもする。フィギュアスケートについて言えば、なによりもまず、僕の仕事だということ。僕の人生だ。4歳からこのスポーツに人生を捧げている。そして、もちろん、フィギュアスケートのすべてを知っているわけではないけれども、多くを知っている。フィギュアスケートはとても興味深いスポーツだ。ダンスをしているときは、タイミングよくリラックスも集中もしなくてはいけないし、我慢強く、強い脚を持ち、良い反応力、素早さ、カリスマ、俳優の資質がなければならない。リンクに降りたら、スケーターは自分のためだけじゃなく、世界全体のために滑るんだから。だから面白いんだけど、難しいスポーツでもある。でも個人競技はみんなとても難しいものだし、スポーツ自体も難しい。サッカーやホッケーなどの団体戦は、怪我をするかもしれないけど、自分がいなくてもチームは試合をして勝てば、自分もそこに名を連ねられる。個人競技で怪我をして競技ができなかったら、自分の代わりは誰もしてくれない。僕の替わりに誰か滑ってくれるようクローンを造りたいという願望があったけど、将来の話だね。


(獲ったメダルのうち、どれが一番重要で思い出深いものですか?もうだいぶ前の1998年、シニアの世界選手権のデビューで感じた感情を覚えていますか?キャリアについてはどうお考えですか?コーチ業に身を捧げる計画は?コーチにとって最も重要な資質は何だとお考えですか?ゴルフについてはどんな意欲がありますか?ゴルフにはどれだけ真剣に成っていて、どんな功績がありますか?)
メダルはみんな僕にとって同じように大切。1998年はよく覚えてる。ミネアポリスでのワールドに初めて出場したんだ。しかも、その大会には偶然出場できて、クーリックとヤグディンが登録されていたから出るはずじゃなかった。でもイリヤ・クーリックが断ったので出場できて、3位になった。でもある意味で僕にとってはがっかりだった。そのときでも優勝できたはずだったから。ショートで2位になって、スケーターはみなそんなにs場らしい滑りはしてないと見ていた。経験の少ないスケーターでありながら、本当に勝ちたくて、優勝したくて燃えすぎてしまった。だから、一方では、初めてのワールドですぐに3位という勝利ではあったけれども、もう一方で、僕はすぐに全部が欲しかった。自分に最大限を常に求める人間だから。でもそのときは、完璧に機能はできなかった。もちろん、2位となった最初のオリンピックも僕にとっては大切。そこでも優勝できたかもしれないけど、素晴らしい、理想的なコンディションだったにもかかわらず燃え尽きてしまった。トリノ・オリンピックでやっと1位に慣れた。もちろん、2010年のバンクーバーでの勝利も大きい。3年間休んだ後、リンクに立ったんだ。気が狂ったんじゃないか、3年経って戻ってきて最高レベルを見せるなんて不可能だって言っていた人が多かった。それから、脊椎の最困難の手術を終え、人工の椎間板をボルト4本といろんな針金で締めて、ヘルニアも抱えてリンクに出て優勝した、ソチ・おリンピックの国別対抗戦も大きな勝利だ。鮮やかな勝利はとても多いけど、そのどれも僕にとっては重要なんだ。

コーチ業についていうと、計画はある。コーチはスケーターを愛し、信頼し、僕にとってアレクセイ・ニコラエヴィチ・ミーシンがそうであったし、今もそうであるようでなければならない。ミーシンは僕にとって2人目の父親で、人としても、コーチとしても完全に信頼している。僕もそんな風になることができたら、結果もでてくるだろう。

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

中国杯SP後のユーリャ、リーザ、マックスのインタ | Home | ロシア2018五輪候補発表とプルシェンコ反応 & 羽生の中国杯への意気込み など

コメント

コメントの投稿


非公開コメント