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イワン・リギーニ:イタリアに、一緒に五輪のメダルを目指そうと言った ~ソチに出られなかった理由と、コストナーの失望~

もともとロシアのスケーターとしてバリエフの名前で滑っていたスケーターが、リギーニという名前でイタリアの選手になり、今回のロステレコム杯でグランプリシリーズ初出場を飾りました。ロシア・ジュニア選手権で2連覇をしていながら、風疹で(2年目は)ワールドに出られず、その後怪我で成績を残せなくなり、はっきりとは書いてありませんが、試合にもなかなか出してもらえないような状況になってしまったようですね。

母方がイタリア系のようで、それでイタリアへの移籍となったようです。ソチオリンピックには、事前登録されながら直前に取り消しになり、そのせいで国別でメダルが取れなかったと思っているようです。

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イワン・リギーニ:イタリアに、一緒にオリンピックのメダルを目指そうと言った


http://news.sportbox.ru/Vidy_sporta/Figurnoe_katanie/m/spbnews_NI497055_Ivan_Rigini_Predlozhil_italjancam_idti_k_olimpijskoj_medali_vmeste
アントニナ・ゴリコワ

(氷上では楽しそうで、歓びを感じているようです。なぜロシア人スケーターはそんな風にリラックスしては見えないのでしょうか。)
何に関係があるかはわからない。でも、私もロシアのスケーターだったけど。生き方としてこういう人間なんだ。ずっとエモーショナルだったし、子供の頃も、ダンスフロアに一番に行って踊るのを恐れなかったよ。家でも、6歳の誕生日のときに指を折ったことがある。Boney MのCDをプレゼントされて、それで踊ってたらそうなっちゃったんだ。あと、道を歩きながら歌ったりもできるよ、全然歌う能力がないけど。好きなことをしてるんだ。していることを仕事のようにとらえる必要はない。そこから快感を得ないと。

(ジュニア・ワールドへは、風疹にかかったせいで出られませんでしたね。)
そう、子供の頃に風疹にかかってなかったんだけど、リンクに風疹にかかった子が来たんだ。もう叩き切られた感じで、死ぬかと思ったよ。41度の熱を出して寝てたんだけど、それでもワールドには行きたかった。第1位だったしね。でもそんなことはできなくて、それで10kgも痩せてしまった。外にでるのも怖いくらいだった。

(ウィキペディアには、「2013年、バリエフはロシア代表のポストをめぐる争いにおける裏での取引に参加を希望せず、国籍を変えた」と書かれています。訳あってのことでしょうか…)
ただ肩をすくめるしかない。どこにだってルールはあって、誰を責めてもいけない、ただ仕事をするだけだ。良い滑りをすれば大会にいけるし、悪ければ、出場できない。

(ロシアではこれ以上期待されてないと感じたのでしょうか?)
正直に言うと、その通り。私に対する関心は失われた。骨折をして、フィギュアスケートを辞めようとした瞬間はあった。医者は不調の原因を見つけられず、そのせいで2シーズン全部を休むはめに。その後は、なんとなくあんまり興味を持たれなくなった。それでも成長はしている。一方で、大きな可能性を持つより若いスケーターたちが現れた。17年もの間スケートをしてきて、それを終わらせる、ということが自分には理解できなかった。これだけの時間をただこんな風に費やしてしまうのか?どんな怪我でも私は止められない。自分の目標に向かって前へと進む。

(イタリアの下に移ってあなたは変わりましたか?)
イタリア語を習い始めたよ。ドイツ語も。一年前に完全に変わった。考え方全体を変え、スタイルや自分の創造性に対する見方、技術、コーチ、住んでいる街も変えた。自分にあるレールにいつも乗って進むことが常にうまくいくわけじゃない。曲がりくねった道を選んで、火の中や銅のパイプなんかをくぐり抜けた方がいい。ずっと滑ることは好きだし、観客に歓びを届けるのが好きだ。モスクワでこんな応援をされてとても嬉しかった。期待してなかったくらいだ。

(あなたはイワンという名前ですが、国はイタリアです。それだけで興味深いですね。ロシアに関係がないのかすぐにネットで探したくなっちゃいます。)
そうそう、ワーニャはいい名前だね。自分もネットで調べたことがあるよ。クールだった。「ロシア人じゃないんだろ」っていう奴もいるかもしれない。でも、待てなかったんだ!ロシアの大会で滑ることを。自分に才能があることは自分自身が知っている。でも、才能は伸ばさなくちゃいけない。でも、澱んでいたんだ。

(4回転は10回のうちどれだけ成功しますか?)
半分。練習では全然うまく行かないこともよくある。原因はわからない。大会に向けたモチベーションになってるかもしれない。もっと練習しなくてはと。でも、1日に4-5回練習セッションがあるし、それに加えてダンスもしている。オベルストドルフではダンスを教えてるんだ。自分でも踊るし。

(オフィシャルサイトには、自分自身の振り付けもしていると書かれていますね。)
自分のショートプログラムを自分で振り付けるのは2年目。とても不安だったけど、結果は「やった!」という感じ。

(どうしてソチ・オリンピックには出なかったのですか?イタリア代表として出場できたはずですが。)
オリンピックには登録されていて、ソチのオフィシャルサイトには私の情報も出場者として載っていたんだ。文字通り出発前の最終日に登録が取り消された。連盟がそう決めたんだ。正しくない選択だった。連盟は私に対して謝罪をしてくれた。この決定のせいで、国別対抗戦で銅メダルを取れなかったんだと思ってる。オリンピックに出場したスケーターが滑ったような、ひどい滑りは自分に許せなかっただろう。悔しかった。アンナ・カッペリーニとルカ・ラノッテも、カロリーナ・コストナーもがっかりしていた。彼らは国別対抗戦に入れ込んでいたから、個人戦では少し弱っていたと思う。

(イタリアの連盟は、メダルの計画や課題を立てていますか?指導部からのプレッシャーはありますか?結果が給与に反映することも?)
ヨーロッパでは給料というのはなくて、ボーナスだけ。それと、スポンサーシップ。結果を出せれば、スポンサーがつく。連盟からの支援はある。コーチや住居など全部支払ってもらえる。スケーターからは支払いは何も要求されない。でも、ロシアでも要求されなかった。自分の計画を立てて、それを遂行したか、あるいは遂行できなかったかの結果で検討される。連盟には、ただ1つの目標を宣言している。韓国でのオリンピックでメダルを獲ること。その目標に向かってともに進もうと提案した。今、リンクに入るときにはプレッシャーは全然感じない。ポジティブだけ。課題は自分で自分に課す。ロシアのグランプリでは、それは遂行できなかった。本当にひどかった。

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

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