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ミーシンという名の時代(3・完)次のオリンピックと引退について

昨日の記事の続きで、今回で完結です。

ミーシンという名の時代(1)バンクーバー後のミーシンの変化
ミーシンという名の時代(2)なぜ「ベスト・オブ・プルシェンコ」だったのか
ミーシンという名の時代(3・完)次のオリンピックと引退について

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ミーシンと言う名の時代:まだまだ続く


http://sportstories.rsport.ru/ss_person/20150308/812993627.html
アンドレイ・シモネンコ / Sportstories(R-Sport)

続き

一方トゥクタムィシェワは、注意をすべて向けさえしたらすぐに変身してしまった。まず第一に、滑りへの自信だ。もちろん、振付が現代のルールやトレンドに合っているかどうかという面では、プログラムの理論的な側面に問題はある。ここで、教え子の習慣と能力を、自分の世界で有利になるように並べ立てるような、この教授のやり方に対し批判し難癖をつけることもできるかもしれない。しかし、大切なのはやはりこれではない。

オリンピックの終了とともに、ミーシンという名の時代は次第に消えていくように見えていた。しかし、積極的なコーチ活動をソチ後に辞めるのかどうかという質問が、この誉れ高いコーチに対してなされたことはそんなに多くなかった。なぜなら、トゥクタムィシェワがいたから。まさにリーザが、彼女自身のキャリアもまったく終わっていないこと、そして自分の変わらぬコーチを年金生活に送り出す意味がないことを、今シーズン、全員に証明してみせた。

それだけでなく、極めて矛盾しているように見えるが、まさにこのミーシン=トゥクタムィシェワのペアが、女子シングルの流行を規定するものになった。少なくとも、ロシアの女子シングルにおいては。すでに、次のワールド(訳注:上海ワールド2015)でリーザは最も難度の高いジャンプであるトリプルアクセルを跳ぶ予定だ。簡単に言えば、教授に対する質問すべてはそれ自体の意味をなくし、ミーシンとリーザは言葉ではなく、仕事で自身の意欲がどれだけ深いものなのかを示している。おそらく、プルシェンコが2018年オリンピックに出場するということを聞いて興味深く思う人もいるだろう。しかし、教授にとっては、おそらく、この4年間ずっと、完全にトゥクタムィシェワに集中することがこれ以上なく面白いのではないか。あるいは、すでに平昌に向けてかなりの回転を上げていく力を持っている若いアレクサンドル・ペトロフにも。

何か言った?ミーシンはもう74歳だって?これを言うのを忘れていた。前述のインタビューで、ミーシンは自身の年齢についてこう語っていた。「私は今まだ生きていて、自分が40や50の頃の行き方と大きな違いは見つけられないんだ。生活の中では、みんなまったく同じ…あるいは良くなっている。たぶん、より注目されているからだろう。つまり、老齢の人が、自分が年寄りだと感じはじめるのは、活発な仕事から投げ出されたときとか、何か深刻な病気が訪れたときだろう。人が自分を年寄りだと感じるような瞬間が、そのうち私にも訪れる。だが、今のところはそういった瞬間は来ていない。父が92か93のときに、私は年寄りじゃない、長生きなんだと言っていたのを覚えている。だから、自分がフィギュアスケートで長生きになれるよう自分に祈りたいと思う。」。

アレクセイ・ニコラエヴィチ・ミーシンは、今でも、まったく同じことを言ってくれると確信している。

(終)

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

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