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ミハイル・コリャダ:小さな夢がかなった

ユーロの代表となったミハイル・コリャダのインタビューがありましたので紹介します。怪我もあって大変でしたが、ここまで来たんだ、という思いがよく出ていますね。



ミハイル・コリャダ:小さな夢がかなった


http://www.fsrussia.ru/intervyu/1706-mikhail-kolyada-moya-malenkaya-mechta-sbylas.html
オリガ・エルモリナ、タチヤナ・フレイド / ロシアスケート連盟 / 2016/1/9

ペテルブルクのスケーターであるミハイル・コリャダは、20歳という年齢にもかかわらず、事実上、今シーズンの新人となった。このワレンチナ・チェボタリョーワの教え子のこれまでの最高の成績は、2013年、ミラノでのジュニアワールドの6位だった。翌年、この将来性のあるスケーターはグランプリシリーズ・モスクワ大会にエントリーされていたが、脚に深刻な怪我を負い、すべてが台無しになってしまった。手術を次々に受け、治療は長期間に及んだ。しかし、ミハイル自身が後になって告白したように、スケートを辞めて他のことに切り替えるといった考えはまったく浮かばなかった。スケーターとしてのキャリアで強制的な空白が生まれたが、おかしなことに、これが良い役割を果たした。今シーズン、出場した大会すべてでコリャダはすでに安定して表彰台に上っている。例外はGPSロシア「ロステレコム杯」で、最強のスケーターたちに交じってコリャダは5位となった。逆説的だが、この大会は、彼にとってある意味で成功だった。まさにこのモスクワ大会で、ミハイル・コリャダは専門家や観客の関心を自分に向けさせたのだ。その後、エカテリンブルクでのロシア選手権でコリャダは銀メダルを獲得し、欧州選手権のロシア代表に選出された。


(ミーシャ、怪我の後の最初のシーズンがこれだけうまくいくと予想していましたか?)


正直言うと、その質問に答えるのは難しい。もちろん、復帰のために練習をしていたし、できることはなんでもやった。でも、こんなに高くまで上れるとは!ここまでは予想してなかった。一番良くても、5位以内に入れればと思っていた。


(このような跳躍を助けてくれたのはなんでしょうか?モチベーションや、滑っていない間に何か考え方が変わったとか。)


もしかすると、考え方を変えたところもあるかもしれない。でも、今になっても最後まではわかっていない。おそらく、無意識のレベルで何かの転換が起こって、それが僕になにか新しい物を探し始めるさらなる力や刺激を与えてくれたんじゃないかな。


(怪我のために1シーズン休養し、手術が1回ではなく何度も必要になると医師に言われたとき、スケートを辞める考えは浮かびませんでしたか?)


いいえ。心のずっと奥のどこかでそんな思いが出てきたかもしれないけど、そういったものを追い払うようにしていた。ただ何も考えなかった。治療して、勉強して、切換えたり、気を紛らわしたり、心を休ませたりするよう努力した。そして医師が許可してくれてから、新たな力で練習に臨んだ。


(どこからそんなにバランスの取れた考え方がでてくるのでしょうか。)

いつもこんなだったわけじゃない。正直に言うと、ワレンチナ・ミハイロヴナ・チェボタリョーワがいなかったら、もうずっと前に滑るのを辞めていただろう。コーチはとても我慢強くて、練習で声を荒げることはない。一緒に練習してきたすべての時間にコーチが耐えてきたことを話したら、自分で自分を手荒く追い出してしまうだろう。


(成長期の困難もありましたか?)

そう、ただただひどい時期もあった。悔しさでフェンスを殴ったり、足で氷を蹴ったりもした。扉を叩いてひどいことを言ったり…。でも、男子の多くはそんな時期を経験してるんじゃないかと思う。成熟して、落ち着いた。2月には21歳になる。


(ご両親と一緒にお住まいですか?)

いや、別に、ペテルブルクで寮に住んでる。レスガフタ記念体育大学の4年。両親はコルピノっていう、郊外みたいなところ。休みには帰ってるよ。子供が4人いるんだけど、僕が一番上。


(お兄さんとして、家のことをやらなくてはいけなかったんじゃないでしょうか?下の子たちの面倒を見たり、おむつを換えたり。)

おむつだけじゃないよ。おむつや片付けや掃除、料理も問題ない。ケーキ以外は何でも作れる。車も運転できるし。自分のはまだないけど。


(妹さんもフィギュアスケートをやっていらっしゃいましてよね?)

昔ね。親が練習に連れて行くのが難しくなって、辞めてしまった。両親はスポーツが好きだったんだ。ママはスキー、パパはカートとか、格闘技。プロとしてではなく趣味でね。僕にスケートをやらせたのも、職業としてやらせるつもりじゃなかったんだ。健康のため、体力のためだった。特に成績とか順位とかは誰も考えてなかった。


(大会の中では、どの大会が一番よく覚えていますか?また記憶から消したいものは。)

消したいと思うようなものはないよ。どの大会もすべてどこか違っていて、何らかの経験を与えてくれる。でも、一番よく覚えているのは最近だけどグランプリ・モスクワ大会の「ロシア杯」。言葉でどうやって伝えればいいかわからないほど、感覚はただただ信じられないようなものだった。逆説的だけれども、1シーズン休んでいたのに驚くほど落ち着いてたんだ。冷血的だったとも言える。特にフリーで。ショートの前は緊張が少しあって邪魔されたんだけど、フリーは全くなかった。最初にリンクに来て、ウォームアップしてリンクイン。演技後、みんなに素晴らしいって言われたときも、とても落ち着いていた。もちろん、嬉しかったけどね。精神的に正しく合わせられたことが、何よりも。結果については、まあ、その通りだなと。でも、結局、これは僕の仕事で、うまくやらなくちゃいけないこと。


(あなたの「うまくやる」というのはどういう意味でしょうか?クリーンにミスなく滑るとか、イメージを展開させるとか。)

エレメンツを次から次へとこなしてプログラムを機械的に滑るだけではまだ足りない。僕にとって、自分のプログラムというのは、いつでもちょっとした変身なんだ。舞台になった俳優にように感じてると言ってもいい。技術的な構成要素やPCSというのは、スポーツでもあり、芸術でもある。そしてそれらすべてをまとめることができたら、素晴らしい物ができあがる。


(ロシア選手権での演技も成功し、ユーロ代表に選ばれました。あなたにとってその意味は。)

エカテリンブルクでのロシア選手権では初めて銀メダルを獲れて、ユーロの代表となれたから、嬉しさと歓喜を感じていた。そんな大きな大会に出たいとずっと思ってたから、僕の小さな夢がかなった。


(ブラチスラバへはどのように準備されるのでしょうか。)


正直、ユーロがなんなのかまだわかってないし、本当に選ばれたのか最後まで認識できてないんだ。ロシア選手権の後、みんなが祝福のメッセージを送ってくれたんだけど、なんか僕に起こったことじゃないような気がしてて。準備は普段通りに。ユーロでのフリーでは4回転を2回やってみる予定。練習ではすべてうまくいってる。ただジャンプに合わせてプログラムの絵をちょっと変えなくちゃいけないけど。ショートは全部今のまま。


(しかし、これまでユーロはテレビで見るばかりだったのが、今回はご自身が出場されるんですよ。調整はどのようにされるのでしょうか。)

すべてをシャットアウトして、普通の大会だと思うようにする。


(アメリカのエヴァン・ライサチェクは、バンクーバーオリンピックで最初はとても緊張していたそうですが、ショート前にリンクに入ったときに、あたりを見回して「なんで緊張してるんだ?ジャッジもみんな知った顔だし、コーチやライバル選手もそうだ。観客席のファンはみんな応援してくれている」と自分に言ったそうです。それで落ち着いて滑ることが出来たと。)

自分もそうやって調節しないとね。

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

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