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アルトゥル・ガチンスキー:競技会は僕にとって麻薬だったけど、治ったよ(6)銅メダル、銀メダル、そして3Aが跳べた誕生日(終)

アルトゥル・ガチンスキーのインタビュー、これにて終わりです。1週間も長々と引き伸ばしてすみません。


【アルトゥル・ガチンスキー:競技会は僕にとって麻薬だったけど、治ったよ】

(1)スケートはもう十分だ
(2)戻りたくなるかもしれないけど、どこからそんな意欲が出てくるかはわからない
(3)今年うまくいかなかったら、いずれにせよやめるつもりだった
(4)羽生は無慈悲に爆発し、チャンは美しく爆発する
(5)恋?それは言い訳だ
(6)銅メダル、銀メダル、そして3Aが跳べた誕生日(終)



アルトゥル・ガチンスキー:競技会は僕にとって麻薬だったけど、治ったよ


http://rsport.ru/interview/20160201/892556653.html
アナトリー・サモフヴァロフ / R-Sport / 2016/2/1

続き

タラソワの指導の後、家に帰ることができなくて、CSKAで夜を明かしたのを覚えてる。


(マットで寝られたんですか?)

いや、ソファで。更衣室のソファが便利で快適なんだ。


(朝、アデリナ・ソトニコワが来て、電気をつけてあなたを起こしたとか?)

自分で起きれたのは良かった。顔を洗って、ウォームアップして、体力トレーニングに取り掛かれたから。でも、モスクワに引っ越して、タチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)のところにきたのが悪影響があったとは言わない。タラソワからも多くのことを学んだ。心の鍛錬も。タラソワから何も吸収しないというのは、ただ時間を無駄に使っているのと同じこと。耐えることも教えてくれた。彼女の何かに不満を言うことは許されない。タラソワの下で7-8時間も滑っていて、ときに目の前が暗くなってただ倒れこみたくなるときもあったことは認める。でも練習を続けて、耐えなければならなかった。タチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)は厳しい指導をしてくれた。荒々しい指導を。弱いところを見せない、男の指導を。「ここが痛い」と僕が言うと、「いや、練習を続けなさい」と彼女は答える。


(でも、最初のシーズンで、その指導であなたは壊れてしまったのでは。)

いや、タチヤナ・アナトリエヴナ(・タラソワ)が悪いんじゃない。そこじゃないんだ。タラソワは僕の中に、真剣なことができるスケーターを見つけてくれて、僕を信じてくれて、それでなければ本当に何かを変えることができないような枠に入れてくれたんだ。彼女には本当に感謝してる。腰の怪我は16歳くらいのころのもので、僕にこんな脊椎があることは彼女や誰かの責任というわけじゃない。どうして腰が痛みだしたのかはわからない。転んだせいだったのか、何なのか。原因は突き止められなかった。しかし、今シーズンに痛みはピークに達したんだ。


人生で一番大きなコンビネーション



(キャリアの中で最も嬉しかったことは。)

2011年、モスクワ「メガスポルト」でのワールドで銅メダルを獲ったこと。更衣室で身を切られたくらいに大声で叫んだよ。


(いったい何と叫ばれたのですか?)


それは今は言わない方がいいだろうね、いろいろだよ…。


(「パトリック、絶対追いついやる!」とか?)


ハハハ!パトリックに?そう、追いつくね…どうやって。パトリック自身も、2年連続で銀メダルを獲ったあとの、ワールドで初めての金メダルだったから、幸せだっただろうね。2012年もユーロでの銀メダルもとても嬉しかった。それから、13歳の誕生日も夢みたいな日になった。その日、初めてトリプルアクセルが跳べたんだ。アレクセイ・ニコラエヴィチ(・ミーシン)と2人でしつこくトリプルアクセルに取り組んで、しつこくねばって追いかけて、それでパッと跳べるようになったんだ!魔法みたいだった。きっちり回転して着氷して、確認する必要もないくらいだった。自分で、できたってすぐにわかったんだ。でも、そんな瞬間はすぐに過ぎ去って、その後はそんなジャンプもルーチンになって、毎日の練習が続くことになる。


(銅メダル、銀メダル、そしてトリプルアクセル、これが人生で一番大きなコンビネーションであると。)

いや、それだけじゃない。人生のコンビネーションの中には、もっと大きな勝利もあるし、その数もかなり多いよ。

(終)

テーマ: フィギュアスケート | ジャンル: スポーツ

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